日本経済新聞、あすへの話題20130301、を面白く読んだ。
消極的、否定的な発想をしがちな場合、ひとつには、反対つまり積極的に考えることで救われるという話。私鉄沿線に住んでいたため、電車の騒音に悩まされていた人が、その鉄道会社の株を購入、「今日もがんばって走ってくれているな」と思えるようになり、音が気にならなくなったという。
もう一つの手は、考えないということ。考えるから堂々巡りをしてしまう。考えないとは、自分の周りで起こることをよく観察する、あるいは、あれこれの出来事に振り回されることで、実現できる。
何度も引くが、アランの『幸福論』にもこれに関わる指摘がある。「私の好みでいえば、警視総監はもっとも幸福な人間である。なぜか。彼はたえず行動しているからだ。しかもたえず、新しい、予見できない条件のなかで行動しているからだ。やれ火事だ、水害だ、地すべりだ、圧死だ。泥のこともあれば埃のこともあり、病気のこともあえば貧乏のこともある。さらにまた、喧嘩の仲裁をしなければならないこともあり、ときには群衆の熱狂をおさえなければならないこともある。こういうぐあいに、この幸福な人間は、ひっきりなしに、決然とした行動を要求する猶予のない問題に直面している。」行動の人、1910年)
どうだろうか。「いやあ、忙しくてねえ」という挨拶代わりの感想は、ひょっとしたら、否定的な思考のループに入るかもしれない自分を救うべく、知らないうちに取っている自衛手段なのかもしれない。これに対して、やれ「本当の自分は」とか「心の闇に光を」と、内向にシャカリキになると、収拾のつかない話になりかねない。
考えない-そのためには軽い運動をする、お茶でも飲む、ちょっと寝る、うまい気分転換が大切なのだろう。アランは、笑うことも推奨しているけれど。