いまやってきているドイツの友人は、あちこちでカメラを向ける。もう5回目の日本訪問だが、今なお珍しいものがたくさんあるらしい。
新年度が始まり、中学生も高校生になった。違う制服で楽しそうに話している女の子を見て、いっぺんに二種類の制服を撮りたいという。いつもなら、私がお願いを伝えるのだけれど、女子高校生におじさんが声を掛けると変に思われるかもしれないから、英語で話すように言う。
すると、彼女たちは、ちょっと驚いた様子を見せながらも、少しおすましをして、しっかりカメラに収まってくれた。英語で話しかけられたことや、撮られる嬉しさも少しあったかもしれない。その続きで、彼らは違う中学校出身だが、同じ高校の生徒となり、仲良くなったこと。今から高校に制服を取りに行くことを話してくれた。私は逆つまり、同じ中学校出身で、違う高校の制服に身を包んでいると思ったのだけれど、そうだったのか。
こうして、ほんの少し話も弾んだ次第だが、いわずもがな、私が話しかけたとした場合の様子とは明らかに違うことだろう。学校や教室での対人関係についても同じことが当てはまると思う。教員は児童・生徒をどのように見ているのか、またどのように見られていると思っているのか、そんな他者からの、あるいはそれを受けた自身への眼差しが振る舞いを大きく決めることだろう。この点で私たちは、他者によって自分が決められるという経験を、日常的に繰り返しているとも言える。
さて、私を含む学校関係者のみなさん、相手に興味を持ってもらえる、たとえば、少し謎めいているとか、知ってみたいと思わせるとか、そんな「オーラ」を放っているだろうか。「児童・生徒の興味関心を引き出す」には、教育内容だけでなく、それを扱うメディアとしての教員自身が、しかるべき雰囲気をたたえていることが不可欠、やり方や技術とは違う方向を目指すことの大切さを、改めて確認できるのではないだろうか。