テーマそのものはあちこちで聴く話だけれど、じかにこの話を伺ったので紹介したい。
奄美大島で、与論島出身の壮年の男性に会った。与論には与論語というべき日本の「標準語」とまったく違う言語があるそうだが、子どもの頃、学校で与論語をつかうと教員に叩かれたという。もちろん、「標準語」を遣える子どもになって(「学力の高い子ども」!)本土でも安心して働くことができるようにとの「教育的配慮」からのことだろうが、子どもには、さぞかし理不尽なことだっただろう。沖縄での方言札とまったく同じ構図だ。
その男性は「ぼくの第一外国語は日本語です」と言われる。さもありなんと思う。「与論語を標準語に頭の中で置き換えてから、声に出していました」と言われるのだから、成人してから「外国語」を学ぶのと同じような経験をすで子ども時代にしていたということになる。ちなみにこの方は「英語は第二外国語です」とも。その通りですね。
日本人として、日本人らしく、といった物言いが好きな人もいるけれど、いわゆる離島に行くほど、この話は怪しくなってくる。どこまでがはたして日本なのか、よしんば日本だとしても、そこでは日本語の遣えることが「普通」なのか。
近代国家と母国、母国語、母語と、学校教育の根幹を改めて考えるヒントをもらった気がしたのだった。