学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

数値化と専門性

今回の授業は、メゾレベルの公教育経営として数値目標をどのように考えるかがテーマ。学生たちは、前回の課題であった、Web上のいずれかの学校評価を参照して、なぜ、何を、いかに数値化しているかを読み取り、授業の臨むように求められている。

授業では、講義をはさんで班内でそれぞれが報告、映像資料も見せて、数字と評価との関係を深めようとした。授業後の感想文を読みながら、改めて気づくことがあった。それは、カンやコツといった科学的ではない(再現性はない)かもしれないけれど、「何となく」ではあれ判じていたものが、鈍くなり、いわば数値に任せ、委ねてしまうことが起こるのではないかな、ということだ。

つまり、数字を用いずに説明しようとすれば、とりわけ質的なデータを自分の捉えたエピソードで語らねばならない。しかし、数値に委ねてしまえば、「昨年度より、○ポイント変わりました」と評価の基準を第三者的に述べることができる。これは、教職の専門性の後退ではないだろうか。

そういえば、今でもこうした議論はあるのだろうか。医者が検査の値や計測器の値にばかり注目して、眼前の患者を診ることが少ない、人間を全体として捉えなければならない、という主張についてである。

医学以上に人間を細分化して捉えることが難しい学校教育において、領域・項目と小分けして各スコアーの変化をあげつらうことにどれほどの意味があるのだろうか。そして、それに意味がないことは、教育委員会ほか学校の当事者がよくわかっており、学校教育法第42条があるから、「仕方なく」だましだましやっている、というのが実際に近いのだろう。このことは、場当たり的な対応を強化するだけでなく、数値化/見える化/言える化/には馴染まないけれど、おおよそ適切に捉えられるという専門性を弱体化させてしまう。

これが、専門性と民主主義との葛藤である。情報公開や説明責任が、ナイーブに「誰にでもわかってもらうべき」と捉えられるとき、専門性は危機にさらされる。こんな状況で教職の「高度化」なるものは、どれほどの現実味を持っているのだろうか。実践的にこうすればいいといい加減な指南をするのではなく、論理的にかくも絡まった状況を解きほぐすこと、その作業に傾注する意義は大きいと思う。
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by walk41 | 2013-05-29 00:40 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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