「大学が教えることは何もない」?
『教育と文化』(国民教育文化総合研究所)という冊子が時々送られてくる。日本教職員組合の立場から、学校教育を論じるというスタンスの文章が並ぶ。
その一つに、「教員免許更新制と教育運動」という一文があった。小学校教員が書いたものだが、「群馬県教組は、2007年秋から県内の大学や県教委との情報交換を始めた。そのなかで、ある大学の担当者(教授)は『実際に10年、20年と教壇に立っている人たちに大学が教えることは何もない。逆に学校現場の様子を教わりたいくらいだ』『これから講座を用意するのが大変だ』と話してくれた」とある。 この通りの発言を大学教員がしたのなら、まったく困った人だなあと思う。大学を辞めたら、とすら思う。なぜって、学校教育の論理と実際との関係について、理解していないんだもの。 学校現場という言い方は「教育実践」と同じくらい、学校では好まれる言葉かもしれないが、実は「いろいろ」という以上の意味を持ち得ない、空虚なものでもある。現場といっても小学校と中学校あるいは高校や特別支援学校との違いは言うに及ばず、同じ小学校でも、地域、経緯、規模、教職員構成、児童生徒や保護者の様子、施設設備など、あまりにも多くの要素が多岐に及ぶので(「校長がかわれば学校がかわる」など人口に膾炙している)、その場に臨むごとに、どうしたらよいかを考え直すしかない。「現場」だからこそわかる普遍性はまず何もない。 もちろん、小学校としての共通性・一般性は認められる。それは、6年制、授業時間数、教科や領域、あるいは教育目標といったことだが、これなら学校の外からでもわかる。「現場」である必要はない。 こうして、学校ごとに(さらには学年や教室ごとにも。また、同じ学級でも個々の子どもにとって「現場」の意味は同じではない)「現場」という名前の「実際」が生まれ、それを認知的不協和が起きないように、とくに教員は理解しようとするから、それぞれの説明がなされる(物語がつくられる)ことになる。「~だから、~になっているのだ」と(そして、この批判の矛先が、子どもやその保護者に行きがちなことは、拙ブログですでに述べたとおり。データはないけれど、「何となくそう思う」で話が通るのだ)。これらが、教員と児童生徒の出会う場の数だけ存在する、学校教育の物語である。 そこに大学の存在意義がある。最前線ごとに構築される物語を解きほぐし、違う解釈へと誘うこと、もって、違う物語へと刺激し、教員の発想と振る舞いを変化させることだ。 「井の中の蛙大海を知らず」に倣えば、それぞれの学級や学年、学校は「井の中」である。その詳細には詳しいが、反面、「井の外」を知らないことにもなる。大学、また望むらくは教育センターなどのできること、やるべきことは、ともすれば多忙と自分の外の世界に興味を持たず、持てず「這い回る経験主義」に陥る可能性を持つ「現場」教員を、俯瞰的な世界へと一時、連れ出して、新鮮に物事を見るための方法について手ほどきをすることである。そこで、数多の実際を知っている必要はない。大学関係者が知っておくべき重要なことは、どのように物を見るのか、捉えるのかという認識の作法である。だから、冒頭のような大学教員がいたとすれば、大学の位置づけを理解していない。 と同時に、こうしたエピソードを紹介することを通じて、「現場のことは現場でしかわからないのよ」と鬼の首を取ったような文章を書く人もいただけない。もちろん、そうした文章を載せる冊子や機関に対しても。現場はまさに現場の数だけあるから、一つの正解を見出すことは不可能である。すべての現場を経験することができず、ただ学校教育の最前線に身を置いていることをもって、「現場を知っている」と思う素朴さは、大きな改善課題であるし、さらにはそうした教員が日々、子どもに接していると思うと「自分は正しい」という「正義の押しつけ」になっていないだろうか、と懸念すらしかねない。 「現場」教員にとって大切なことは、そこに耽溺しないことである。そうした「井の中の蛙」が、民主主義と専門主義、個業性と分業-協業性、主観的物語と客観的説明責任といった、衝突・葛藤するゆえに、考え議論すべき学校組織論を一顧だにしない「学ばない教員」となる。そして、職場でマイ民主主義を振りかざし、マイルールで学級王国を作り、マイウエイで同僚と分析的・批判的な議論をしない、といった問題を引き起こすことにもなる。こうした見方は、「現場」に意地悪に過ぎるだろうか。
by walk41
| 2013-07-06 08:58
| 学校教育のあれこれ
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