ダブルバインド(二重拘束)
ゼミ学生との時間、教員の仕事をどのように捉えれば、より説得的だろうかと問う。
2時間あまりの中で、学生の一人が話したことが興味深かった。ある学校で、学生が担った授業が、指導案どおりの発問でかつ、「予想した子どもの反応」通りだった様子について、指導教員役の教諭が「完璧すぎておもしろくない」と宣うたそうな。 現職教員を含むゼミ生からは、「それは上手くできたことに対するやっかみではないか」との声も上がったが、それはさておくとしても、とても学校らしいやりとりだなあと思わされたのだ。 すなわち、授業指導案など授業や指導の計画はしっかりと立てることを求める一方、まあめったとあることではないだろうけれど、その通りに進むようなことがあれば、それは「柔軟さに欠ける」と批判される。これは明らかに、矛盾する方向を同時に求められるという点で、ダブルバインドである。これに巻き込まれた学生は災難であり、これを素朴に求めた指導教員は罪人である。 「結局、どうせって言うんや」という質問に対して、答えられないということ自体が、学校教育の特性を物語っている。つまり、学校教育では「こうすればよい」という正解はなく、ケースバイケース、臨機応変、状況依存と一様でない対応が求められる。さりとて、基準や大枠があまりに乏しいと、それはそれで「いい加減」と問題になる。前者に立ては、柔軟さが強調され、後者に立てば、基本が重視されるのだ。 そこに居合わせる教員が、まさに「現場」と主張するのであれば、よく周りを眺めてほしい。一元的な(一律の)論理で語ることのできるものがどれほどあるだろうかと。 授業も、予定することは大切だけれど、予定通り行くのはこれまた望ましくないという、教員自身の、そしてこれを後支えする、私たち大人側の葛藤する価値観が投影されているのだから、それを踏まえて、どのように「よい授業」や「よい指導」を描くかが問われるのである(そのようなものはない、という可能性を含めて)。 ダブルバインドの問題は、そのように存在することにあるのではない。そのように存在するにもかかわらず、あたかも一元的な論理で語ることができると、無邪気に振る舞ってしまう人がいることにあるのだ。教員は「正しい」ことが好きな人のように私には見えるが、必ずしも、あるいはひょっとしたら、ほとんどそのようなことはないだろうこと、まずは教員がこの点を理解するのが必須かと考える。
by walk41
| 2013-07-16 23:01
| 学校教育のあれこれ
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Comments(2)
お晩でした
……と、過去形になる不思議さ。うちの地方の「今晩は」です。 私は、教育実習生には、一度にたくさんのことを言ったり、させたり、しないように気を付けます。彼らは、初めて教壇に立つわけですからね。授業案を書かせて、まずは、その通りに時間以内に収めるよう、努力させて授業をさせます。そして、何がうまくできて何が課題なのかを話したり見つけさせたりします。そして、次の授業では、その課題克服のためには、どうしたらよいかを考えつつ、展開を考えたりふるまい方や発問の仕方などを具体的に考えさせます。子どもの反応や行動をできるだけ予想させながら。でも、反省で課題として考えさせることは、一つか二つに限定します。 教師という人種の性(さが)なのでしょうか、実習生指導も自分の力量を誇示する絶好の機会ととらえ、実習生個人の個性や特性、性格、専攻教科や研究領域などもよく理解しないままに、結構追いつめてしまうところがあるように思います。20年ほど前、あまりに理不尽に追い詰められた実習生が自殺するという事件がありました。
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walk41 at 2013-07-17 23:27
ポッピーママさん、お晩でした。
ことばの不思議さにも十分に魅されますから、こうしたお話はどしどし(オノマトペですね)語っていただきたいものです。 さて、テーマについて、似たようなブログを綴っていますので、言わずもがなのことですが、学校教育を議論する構え、そして問いがそもそも適切でないから、話がこんがらがって、時間切れになって、「お疲れさま、かんぱーい」に終始しているように思われて仕方ないのです。 「まずは時間内に終わるように考えよう」とか「これは、という発問を試してみよう」とか、すぐれて限定的で、また必ずしも正解がないような(時間内は、正解でしょうか)問いの一つに向き合わせる、というのであれば、わかりますが、学校教育の目標がそうであるように、総花的、概括的なあまりに、何をそもそも議論しているのかわからないような話になりがちでは、と第三者的には思われるので。 そこに、真面目を重ねたような教育実習生が来た際には、間違って悲惨な結果になってしまう、というのも頷けるというものでしょう。「手本を見せられる訳ではない」のが学校教育の業界であることを、重ねて心したいと思うのです。
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