学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

学力向上

久しぶりに参加した研究会で、外国の学力向上政策に関する報告を複数、聴く。

限られた時間の発表でもあり、自ずと制約はあったが、それ上でも、隔靴掻痒の感が否めなかった。それは、学力、向上、政策、と3つの確かめるべき言葉が重なっており、丁寧に議論するにはあまりにも漠然としていると思われたからだ。

問題意識としてはこのようだとしても、課題設定の段では、抽象と具体をより往復できるように、それぞれを限定する必要がある。例えば、言語に関する学力について、これまでにない観点で顕在化させるような、市町村という地方政府が策定しうる政策について、議論するというようにである。

そして、議論を進めるには次のような作業が必要になる。まず、言語の力をどのように捉えるのか、「コミュニケーション不足」「挙手が少ない」と語られるが、これはそのように変化してきたのか、以前からそうなのか。次に、向上とは、これまでになかった部分を伸ばすことなのか、かつてあった力を復活させることなのか。さらに、政策として行いうる資源の投下、指導助言のあり方は、どのようなものなのか。

こうした手続きを経てようやく、学力向上政策のごく一端から、問題意識を深め、広げることができる。しかし、一端だけかと嘆く必要はない。ここからアリの一穴のように、問題を掴まえ、あるいは問題自体を瓦解させることもできる。「全体」を何となく撫ででいても、捉えられることは限られる。焦点を持ってこそ、問題に迫れるのだ。

さて、言語に関する学力とした場合、問われるべきは、読み書き上のあるいは話す聴く上での、論理的構成なのか、情緒的表現なのか。何を取り上げるのか細分化する中で「向上」の意味も変わってくるだろう。「黙っている子が多い」は、話さずともわかっているのか、無関心なのか、はたまた言いたいけれど言えないのか。これら交通整理のあとに、政策や経営として何をなしうるか、が見えてくるのだろう。

似たようなことを何度も言っているけれど、「何をなすべきか」の前に「どう捉えるのか」が重要であり、このための自分たちの言葉を問い、ブラッシュアップする訓練が毎日の課題になる。「何気に」遣っている言葉を常に解釈、更新することは、研究を志す者の責務である。
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by walk41 | 2013-07-28 09:14 | ことばのこと | Comments(0)
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