前期の授業もほぼ終わり、ゼミ形式の授業は「この授業で学んだこと、考えたこと、これから考えていきたいこと」と題して、学生たちに一人あたり数分ずつ、私と他の学生の前で口頭発表させることで、〆としている。
感想ごとにこちらが喋ったりするから、予定の90分間をいささか越えてしまったが、学生の話はいずれも興味深く、また嬉しいものだった。曰く、「大学に入ってから、これホンマに要るんかな?と思う授業が多かったけれど、机上のことが教育実習にも繋がる授業だった」、「現職教員や教育委員会の人の実際的な話に引っ張られそうになる中で、この授業は、その方向に自分が染まるのを阻止してくれた」、「このように学校教育を捉えたらいいという発想に終わらないで、こういう風にできるのではと方略まで考えることができ、授業での議論が楽しくなりました」という具合だ。
こうした感想の後ろには、学生たちの頑張りも見過ごせない。一度は担当した発表の回だけでなく、発表者でない回については、授業での議論の概要とそれに対するコメントをA4用紙、1枚程度にまとめて翌週に提出するということを繰り返した。最初の数回の講義を除いて、提出されたのは9回、いずれも赤ペンで誤字脱字、改行と接続詞、標記上の問題をチェックしたほか、若干のコメントを付してそれぞれに返却した。少しは文章修行にもなったと思う。
すべての発表が終わったあと、私から二つのことをまとめに話した。その一つは、教員養成大学での授業として、教員になりたい人には一度は、教員になるのを止めようと思う授業を、また教員になることに関心がない人には、教員もいいかなと思えるように、つまり、揺れる授業を自分としては目指していること、また、学校の最前線にはいないからこそ掴まえられる事実や構成しうる問題があり、この点で机上の空論もあるだろうが、自分としては「机上の有論」を目指していること。
もちろん測定はできないけれど、春から比べて、より思慮深く、表現豊かに学生が変わっていると「感じられる」ことを、とても嬉しく思う。