教育実習を終えた学生からメールが来る。私が、授業をしている学生の写真を送ったことへのお礼を兼ねてだが、大学の授業で扱ったことについても記していた。
それは、教室での教員と児童生徒との衝突、葛藤、交渉、妥協、諦念、迎合、共感といった認識と感情の入り混じる様子を大学で学んだことと、実際に子どもに出会って、彼らとの類似する経験を通じて知ったこと、感じたことが「結びついた」というのだ。
短い教育実習ながらも、学生なりに論理と実際との関係に気づけた様子を聞けて、とても嬉しく思った。これまで縷々お伝えしてきたように、私の授業はやり方とかそのヒントとか、経験談といったものと正反対で、なぜそう考えるのか、どうしてそんな振る舞いをしてしまうのかと、「非実践的」なものだけれど、そうした授業でも、あるいはそうした授業だからこそ、実習で「役立つ」ものであったらしいことを強調したい。
こんなことを書くと、大学教員として四半世紀近く授業をしてきて、ようやくこんな風に学生に言われるようになったの、とお叱りを受けるかもしれない。おそらくそうなのだ。
ずいぶんと昔の授業の感想に、ある学生に書かれた一文が今も思い出される。「もっと、教員の魅力について聞きたかった」。魅力と落胆、絶望と希望のいずれも持ち合わせる世界として、学校教育を語ることができるようになったのは、はたしていつからだろう。自分が多くの学生にガッカリされ、その結果、育てられただろうことに時間の流れを感じる。