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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

観察者効果

自己言及(self reference)の一部をなしているのだけれど、この言葉の方が説明がしやすいとこの頃は思って、学生に話をしている。

町の警察が、市民の自動車運転の様子を知りたいとパトカーで町を回った。警察が目にした市民のドライビングの様子は、「本当の姿」だろうか。

みなさんも一度ならず経験されたことがあるだろうが、交通法規に違反したつもりはなくとも、気がつけば自分の後ろにパトカーが付いているというのは、心穏やかならないものだ。きっと、いつも以上に、一旦停止することや速度オーバーにならないように注意するだろう。

このように「見る人」がいることによって「見られる人」が影響を受けることを、観察者効果と言う。白衣効果とも言われる医者の前で血圧が上昇する人や、カウンセラーに恋心を抱く転移など、に観察される。

学校教育では、「お前、何やってんだ」と声を掛けることそのものが、生徒の反発を招くきっかけになったり、「優秀な子たちですよ」と学級担任が聞いたクラスでは成績が向上し、これと反対のことを聞いたクラスでは異なる結果が現れたという「教室のピグマリオン」効果など、関わりを持とうとすることそのものや、眼差しを注ぐことですら対象に影響を及ぼしてしまうことを確かめられる。ここから、「児童・生徒理解」や「子どもの見とり」というものが、原理的には不可能と導けるし、あるいは、研究授業といった見世物がいかに子どもや教員に影響を及ぼしているがゆえに、「あの時、なぜあのような発問をしたのですか」と尋ねることがいかに無意味かがわかるだろう。

かといって、見られなければ観察はできず(「人のいない森では、木が倒れても音はしない」)、分からず仕舞いである。では、授業者が授業をしながら観察すればいいではないかという人もいるかもしれないが、これはいっそう無理な話だ。私が授業者だったら、こうするな。「こんな子どもの姿をみたい」ならば、それに合うような働きかけをするのだ。そうなるかどうか不安ならば、事前にそう振る舞うように子どもに話をしておけばよい。「友だちが発言したら、こんな風にうなづくんだよ」って。そうすれば、子どもに嫌われていない限り、だいたいはそう振る舞ってくれることだろう。かくして、「狙いどおりの授業」が出来上がるという訳である。

学校教育において、「見る」と「見られる」の関係は断ちがたい。人格に関わる業務だからこそ、さらには、「心の教育」や「生きる力」といった内面にすこぶる関わる課題を掲げる昨今、被教育者に対する眼差しは決定的に重要な位置を与えられている。だから、「共感」「受容」といった言葉も濫用されるのだろう。

問題は、こうした関係的存在として学校の当事者は現れざるを得ない、という点をわかっているかどうか、である。これを理解せず、児童・生徒を眼差しの影響を受けない対象かのように捉えようとするとき、「実践」は失敗する。教員である自分に対する児童生徒の眼差し(「見ようとする人は見られる」)を踏まえずに、彼らを操作の対象と見なすとき、そこでのコミュニケーションは遮断されている。関係が成立していない状況において、「教える」や「学ぶ」が成り立つはずがないことは明らかだろう。
by walk41 | 2013-10-10 20:32 | ことばのこと | Comments(0)
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榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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