学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

空間を制する

教育学という看板で仕事をしてきたが、仕事以外で学ぶ身に自分を置くと、気づかされることがいくつもある。その一つが、教える立場を取るというのであれば、自分が制する空間で学ぶ立場の人間と向かい合うのが合理的、ということだ。

学びにそちらに行く、そこでは教える立場の人が待っている-この格好が取れてこそ、教育-学習という関係が成り立つ。相手のフィールドに身を置く落ち着かなさ、不安や怯えすらもありうる、弱者にならざるを得ない。これで初めて教えてもらう格好になる。教えを請うという表現は、これに適うものではないだろうか。

にもかかわらず、多くの場合は、先に児童・生徒がいるところに(文字通りの、ホームルームにである)教員が訪れる形を取る。これでは教員はお客さんであって、その空間を制することはできない。ホームルームで寛いでいる彼らに優位な立場に立つことは難しい。もっとも、教えるというスタンスを取らない関係もありうることは無論だ。

ずっと昔から違和感を感じていたこと。こんなホームルームにいる彼らに、日直あたりの掛け声で「起立、礼」をさせるという学校の不思議な儀式が、かくも緊張感の欠片もない、だらだらとなることの理由が垣間見えるだろう。立ち上がったり、礼をしたりというのは、寛げない緊張を要するところでこその所作である。だから、そうした振る舞いを求めるのであれば、これにふさわしく空間を設計しなければならない。なのに、ホームルームでそんなことをさせるという、ちぐはぐである。

人間の行動に叶うものとして学校が設計されていないということ、これが児童・生徒や教職員という当事者の、不適応や不満足あるいは不快感につながっていると捉えるのは、現実的な説明だろうか。
by walk41 | 2013-11-21 20:12 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
<< 笑いがあってこそ 大学でも難しい評価 >>



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
よなすさんへ コメ..
by walk41 at 09:40
さかきばら先生こんにちは..
by よなす at 03:01
よなすさんへ、コメントを..
by walk41 at 18:37
いつも興味深く拝読してい..
by よなす at 00:02
はじめまして、香菜子とい..
by 無力な教育者香菜子先生 at 13:53
お久しぶりです。お元気で..
by walk41 at 18:20
こんにちは。全くその通り..
by じゅくせんまさや at 15:08
「教え子を戦場に送るな」..
by Koji at 12:50
じゅくせんまさやさま、 ..
by walk41 at 05:02
いつも楽しみに拝読してい..
by じゅくせんまさや at 19:06
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
23.7時間と27時間の謎 ..
at 2019-03-19 16:48
すみません Entschul..
at 2019-03-18 14:53
サルサソース die Salsa
at 2019-03-17 15:51
喜びで泣ける仕事 Beruf..
at 2019-03-16 09:08
「らしい」という表現
at 2019-03-15 12:44
マニュアルの適切さ Ange..
at 2019-03-14 12:14
困る合言葉 unangene..
at 2019-03-14 11:58
福島 Fukushima
at 2019-03-13 14:38
微妙? komisch?
at 2019-03-11 14:17
すべては国家のために al..
at 2019-03-10 18:42
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧