教えるという仕事とは反対に、学ぶ立場に身を置くと、いろいろと気づかされることがある。その一つが、力を抜いて下さいと言われても、なかなかできない自分の身体だ。
ものの本によると、あるパターンで身体を使うことを学習すると、それ以外の使い方に馴染めなくなるのだという。以前聞いた話を当てはめれば、江戸時代はナンバ歩きと言われる、手と足の向きが同じだったが、明治時代に輸入されたスウェーデン体操などを通じて動きが反対に、つまり、左足を出す時に右手が出るというように変わったというようなことだろうか。学習するとは良いことばかりではない。
これからゆっくり考えたいが、たとえば学校では、「力いっぱいに」や「全力を尽くして」と、力加減を調節することを教えず、力を出せば出すほど良いというメッセージを送るに偏しているのではないだろうか。
この結果、力を入れたり、抜いたり、またそれらを身体の部分ごとに調整するトレーニングは扱わず「不自由な」身体を作ることにもなってしまう。自分の身体なのに、思うように操れない場合もあること、これも学習の効用と限界だろう。