学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

自ら律することの難しさ

昨日の拙ブログで、自身による眼差しと他者からの眼差しのバランスが大切なことを述べたが、その「もっともらしさ」は、いま問題になっているJR北海道のずさんな管理からも説明できると思う。

列車の脱線が相次いでいるJR北海道では、保線部門において古くは20年も昔から、検査結果の改ざんが行われていたという。保線職員への調査ではその16%が改ざんをしたと回答しており、44部署のうち33に及ぶとも報じられている。この通りだとすれば、稀な話とは決して言えない。

「1,2㎜ならいいだろう」という自己評価が重なって事故に至っているならば、自分(たち)だけの眼差しでは不十分ということになる。「それぞれに任しておけば大丈夫」が、実はそうではなかったのだ。学校教育にこれを当てはめればどうなるだろう。

教員それぞれに委ねておけばOKだろうか。きっと、そうではないから、教員評価や職場内外でのインフォーマルなコミュニケーション・チャンネルが重要になる。個々の教員の「思い込み」「決めつけ」を少しでも抑制することができる。これは過剰に肯定的な評価に対する方略だけではない。「自分はダメ教員だ」「こんなことでは生徒に申し訳ない」と思ってもしまう、過度に否定的な評価に対しても、相対的な視点を提示できる。こうして、自己評価の不十分さを補い、支えるのが他者からの眼差しであり、両者を交差させ、対話させることを通じてこそ、「よりましな」評価を行うことができるのではないだろうか。

JR北海道の社長は、記者会見で社員教育を強調していたが、自らに批判的な目を持てるようになることも教育の成果と捉える観点は、学校教育にとっても強調されるべきだと思う。「言われたとおりに」「そういう風に決まっている」「常識だ」という認識に留まらず、「他に考えられないか」「違う人が見たらどう思うか」とメタ的な視点を長い期間をかけて培うこと、そのような経験を十分に経ずに、いきなり職場で「多面的に捉えろ」と言われても、実行するのは難しいだろう。

自身を含めて思う。自分を批判できる能力を伴ってはじめて、自主性や主体性について語ることができるのだろうと。
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by walk41 | 2014-01-22 10:12 | 身体 | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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