ドイツ話が続いて恐縮だが、切符の検札の仕方と同じような話を一つ。
お話を伺いたいと先方を訪ねる。お礼を伝えるのと合わせてこちらの名刺を渡す。拙ブログを読んでくださっている方は、およそ礼儀や形式を重視しない私であることをご存知だが、それでも名刺を両手で持ち、相手に読めるように(ドイツ人相手なので、ほとんど読める箇所はないのだけれど)は渡す。
これに対して、「いま持っていないので」とインタビューのちに下さった名刺は、ちょうどトランプを配るように私の前に置くものだった。表こそ向いていたけれど、反対だったし…。
結論はいつも似たようなことだ。どうしても「こうあるべきだ」と価値を立ててしまう私たちだが、それが通じない世界に少し触れてみることで、「まあいいかな」とも思える自分に更新していくこと、そうした作法が身についてこそ、「生きる力」と言うべきではないだろうか。