大学でも情報公開が進められ、執筆した論文も紙媒体のみならずweb上で閲覧できるようになってきた。本学でも電子媒体はもちろん、それ以前の活字のみだった論文についても逐次スキャンされ、公開されている。
そんなわけで自分が大昔に書いたものも載っているので、わあ懐かしいと読んでみた。私が初めて論文というものを書いたのは1985年、「『福祉国家教育構想』への視座ー持田栄一における『重畳構造』をめぐってー」というタイトルで、まあ生硬な中身なこと、恥ずかしさいっぱいだが、問題意識は今に至るも連なっているなあと感じる。
その中に次のような記述があった。持田が当時の西ドイツへの在外研究後、「現代ドイツ公教育の基本構造」(『東京大学教育学部紀要』10,1968)を著しており、日本では肯定的に捉えられがちだった「私教育の組織化」という原理そのものを問い返すべきと述べている、という行である。
こんなことを書いていたのを、すっかり忘れていたけれど、これが自分とドイツとの縁の始まりだったのかなあと思えば、個人的なことながら感慨がある。この2年後、ドイツ、ワイマール期の教員養成改革について修士論文を書くのだが、そのことよりも、30年近く経った今なお、ドイツの事情を知ろうとニュースを読み、彼の地に行って観て、聴いている自分にとって、ドイツは特別な意味を持っているのだなあと思わされたのだ。
たまたまのことなのだけれど、得たご縁、これからも大切にできればなあ。そのためにもドイツ語により励みたい。まったく個人的な話で失礼。