学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und Schulmitglieder

作法

むらいさんからコメントをもらった。学生に対するレポート指導のなさが、回り回って、今回の小保方問題にも至ったのではないか、と読んだ。

教員養成の議論にも通じるけれど、大学での予定調和という考え方、つまり「まあ放っておいたって(放っておいてこそ)、学生は自分で学ぶもんや」という意見は今なお残っており、「学士力の質保証」といった立場からは「とんでもない」と言われるだろうが、一理あるとは思う。「この勉強が終わったらこっちやで」など、おおよそ成人相手に言うセリフでもないだろうし、学生の主体性や欲求を促す前にあれこれ指図するのは、結局のところ彼らを育てないことにもなるのだから。

「放ったらかしはあかん」かといって「がんじがらめもあかん」となると、どうしたらええんや、という話になるけれど、「作法を教える」という方略はあるかなと思う。

守破離の考え方をなぞると、まず型を伝える。レポートは常体で、始めの一マスは空ける(小学校で扱っているはずなのに(-_-))、段落の始めはおおよそ接続詞から、論理を組み立てるとは、口語と文語との違い、量的データと質的データのバランス、キーワードを決める、引用は「 」を付けて、文献の示し方、といった具合だ。

論文指導ならば、論文とは何か、研究するとはどういうことか、どんな手順を踏むのか、観るとは何をすることか、データの整理の仕方、表現の仕方、先行研究との対話とは、仮説とは何か、解釈と論理、調査上のマナー、といったことを伝えることである。

これらを作法と言うならば、考える、観る、記録する、整理する、推敲する、表現する、といった一連の作業や手続きがあることを教え、基本的にその「枠内」でまずはやらせること、その経験をきっかけに学生が学ぶということになるだろうか。

それにしても、レポートが返ってきたことを今なお覚えてくれているのは嬉しいことだ。と同時に、気をつけなければいけないとも思う。いま対している学生からも同じように先々、「良かったな」・「何やったんやろあれ」と、肯定的・否定的に評されることを忘れずに、と。



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by walk41 | 2014-03-24 06:34 | 授業のこと | Comments(0)
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