厚生労働省は1日、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」が、2013年は男性71.19歳(13年の平均寿命は80.21歳)、女性74.21歳(同86.61歳)だったと公表した。(毎日新聞、20141001)
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平均寿命が延びても、健康寿命がそうでなければ、不便な、あるいはある意味で不幸な時間が長いということになりかねない。「PPK(ピンピンコロリ)」と寿命の尽きる直前まで元気でいられることを願うのは多くの人だろうが、それが叶うのは必ずしも多くないかもしれないね。
20代は天下国家を盛んに論じた者が、50代に至れば自身の健康話ばかりと揶揄されもするが、そこでは、視野狭窄、疲れやすさから来る諦め、あるいは、達観したかのような自己合理化といったことが跋扈するからではないかと思う。
この反対、相対感覚をもって事大主義に陥らないこと(「大したことなど、世の中にそんなに多くはない」と考えられるか)、労力を惜しまないこと(面倒くさいと思わずに、あれこれに関われるか)、あるいは、わからないことに上手くつきあえるか(おもしろいなあ、不思議やなあ、と思えるか)、あたりが「老い」に抗うことではないだろうか。
まだ「老い」ていないと言いたがる辺りが、すでに老いつつあることの証左とも言えるけれど、楽しみながら時間の流れとつきあいたい。誰にとっても、明日は初めて経験する時間のはず。それを迎えられるかもしれない幸せに感謝しつつ、「わかったようなこと」を思わず、語らず、だけれど、したたかに生きてみたいと思う。
こんな抗いが、まさに「イタイ」のかもしれないけれどね。