大人数の授業でのレポート課題の一部、「何となく」学校で行われている例を挙げ、それを分析しなさい、というお題に、60人ほどの学生が臨んだが、その一つに、校長の朝礼が挙げられていた。
確かに、朝礼に校長が話すことがあるが、はたして何を伝えようとしているのか、よくわからないことは少なからずだろう。レポートの学生も、「三寒四温の話は覚えていますが、それ以外は、右から左へと流れていきました」と記している。
私も自分が児童・生徒だった時を振り返れば、ほとんど覚えていないと言って良い。そもそも、よくわからないのだ、校長先生はどんな立ち位置で、何のために何を伝えようとするのか、といういわば舞台設定のいかんが。
来週も数百人の生徒と教員を前に、自分が朝礼の挨拶をすることになっている。何を話したらいいものか。こんなブログを書いたけれど、と話をはじめようかしら。
ことほどさように、状況説明のないままに行われていることが、学校でも多いということに気づいてくれるだけでも、意味があるのかもしれない。本来は、「わかったような顔」をしていなければいけないのが校長の役割なのだろうけれど。