ネパールで女性の化粧を応援する、コフレプロジェクトを進める30歳の向田さんの記事、http://spotlight-media.jp/article/113916119903644103 とても感じるものがあった。
化粧が何の役に立つのかと批判的な声の中、彼女は次のように語っている。「本当はみんな、説明できる事だったり、再現、可能性があることだったり、効果測定出来ることだったり、そんなものを飛び越えた、もっと先にある煌めきや、一度きりの感動を見たいのではないかなという風に思っています。」私は得心する。その通りだと思える。
翻って、学校教育の議論はおおよそこんな感じである。「PDCAサイクルを回して、年次計画、週案、一時間完結型の授業を目指すべきである」という意見に対して、「子どもの人生は長い、どんな教育が良かったのかは、一時間や一年ではなく、将来にわたって長期的に問われるべきである」という構図だ。ここにいずれにも欠けているのは、刹那、仏教用語で一番短い時間の単位とのことだが、にこそ人は充実した生を味わうことができる、という視点である。
ちょっとした親切を受けた時/できた時、キビキビ働く人をいいなあって眺めた時、驚かさせる話に接した時、夕日がきれいだなあって思えた時、どれも瞬間的な事柄だ。にもかかわらず、あるいは、いやそうだからこそ、その短い時間がその人にとってかけがえのない、貴いものだというものの見方、今の学校教育のお喋りにはたして含まれているだろうか。