3月は在籍生の進級や卒業が決まる時期でもある。本学の学生もぶじ卒業に至ってほしい。さて、大学に限らず学校が生徒や学生の卒業を決定するという仕組み、日本では当たり前のことに思われるけれど、決してそうではない。
たとえば、ドイツでは基礎学校(小学校)は当てはまらないけれど、中等教育段階に入ると、いずれも国家(州)試験での合格をもって、卒業が認定される。基幹学校修了(9年)、中等教育修了(10年)、大学入学資格取得(12年)というようにである。これらは、学校での成績も影響するけれど、州による試験が不可避で、教育修了は各学校によってではなく、州政府によって宣言されるのだ。
このため、9年間学校に通ったけれど、基幹学校修了資格を得られない生徒が数パーセント現れることになる。義務教育年限は経たけれど、義務教育は修了しなかったということである。
州政府による認定とは、ある意味で非情かもしれないけれど、頑張って勉強した生徒をちゃんと認めるためにも、厳密な手続きは重要とも言えるだろう。翻って日本では、たとえ出席日数が少なくても、学業成績が仮に0点に近くても、「まあ、がんばったから/これから頑張るって言っているから」と卒業が認められることになる。学校教育法において、義務教育段階でも原級留置が認められているにもかかわらず、である。
「そんなん、かわいそうやん」という声を予想して、取られる温情措置だろうが、これは教育的に適切な対応だろうか。頑張らなくても(もちろん、頑張れなかったこともあるのだろうけれど)なんとかなる、ということを学んだ彼らは、この先、大きな壁に当たるのではないだろうか。
法的に規定されていても、運用されることのない、伝家の宝刀状態の一つ。こんな現実を支えている私たちの心性を、より問いたく思う。