先日のニュースで、新潟県の中学校教員が、教室のストーブが凹んでいたことに腹を立て、生徒たちに給食を与えず、夕方まで数時間、犯人探しをしたと流れた。
これを引いて、過日の授業では、教員のマイルールがどうしても生まれてしまうこと、この個業的な業務遂行の範囲が大きいことを知り、「それなりの」協業的あるいは組織的な仕事がいかにできるか、を考えるべきことを学生に話したところ、次のような感想文中の記述があった。
…自分の小学生時代を振りかえってみました。私も「犯人探し」の件で給食が食べられなかった経験があります。クラスメイトの眼鏡が割った人物を探すために給食の時間が使われました。結局、名乗る人物が現れなかったため、反省させるためにクラス全員が一週間もの間、休み時間、読書をしなければならない、というルールが作られました。そのときの学級担任のことは、今も理解することができません。…
いかがだろうか。大学生も7年ほど遡れば小学生、その時のいわゆる教育実践が評価される時間は、ある意味ですぐにやってくる。
どうしても生じてしまう教員のマイルール、これをどれほどメタ的に捉えられるか、一人では難しいならば、いかに批判的で生産的な人間関係を築くか、が職務の一部に含まれるべきだろう。
学生から上のようなエピソードを聞くに、ちょっと油断すれば、つまり経験則に身を委ねるほどに、おっかない世界が学校という職場だなあと、重ねて思わされる。もちろん、自戒を込めてね。