学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

達成することと目指すこと

反省をこめて記す。

教育というできごとや現象が、観察、観測、計測しにくく捉え難いことは明らかである。「わかった」と生徒が声を上げたからといって、どれほどわかったかを判断することはできず、またその状態がどれくらい長持ちするのかを想定するのも、ままならない。

知識や理解といった学力ですらこうなのだから、関心・意欲・態度に至ってはどのように把握できるのか、見当もつかない。「うなづいた」からといって「手をよく挙げた」からといって意欲が高いとは言えない。早く授業が終わってほしいから、授業者を応援しているからこその振る舞いかもしれないのだから。

かくして、教育という活動や行為を「やりかた」の問題として扱うのは不適切である。この点で、教育ー学習を再現性や実証性を担保するべき技術の対象として議論することは、生産的ではない。児童生徒も自分の人格の主体であり「彼らには彼らなりの都合がある」ことは、繰り返し確認されるべきだろう。児童生徒は教育の対象だが、同時に彼らは学習の主体である。主体を操作するというのは、語義矛盾である。

しかしながら、こうした考察は、ある教育的価値を生み出すように当事者が関わることを排除するものではない。狙ったようになるわけではあまりないけれど、かといってその方向を意図してある環境を整えたり、活動を試みたりすることを指して、やっても仕方のないことと見なすのは、安直に過ぎる。法則的な出来事は生じないけれど、それに近づけるように試みることは、相手の都合を軽視して申し訳ないが、「実践」として社会的に承認されるだろう。

こうして、どんな状況のもとでいかなることが行えるかを考えること、児童生徒の友人関係、保護者や地域社会あるいは社会的ネットワークの影響を認めつつも、教室や体育館などで具体的な行為が構想され、試みられ、反省されることは大切である。いろいろな具体例がありうること、その一回性を多分に前提としつつも、だからといってある試みを無意味と判じるのは乱暴である。

「湯船のお湯と一緒に赤子を流してしまうことの愚」(K.Marx)を犯さないように、丁寧にひと、もの、ことに向き合うべきことに、今さらながら気づかされている。いつまでも幼いことで恥ずかしいことしきりだが、改めて日々を大切に過ごしたい。




[PR]
by walk41 | 2015-06-01 14:40 | ことばのこと | Comments(0)
<< Vegan ああ、びっくり >>



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
はじめまして、香菜子とい..
by 無力な教育者香菜子先生 at 13:53
お久しぶりです。お元気で..
by walk41 at 18:20
こんにちは。全くその通り..
by じゅくせんまさや at 15:08
「教え子を戦場に送るな」..
by Koji at 12:50
じゅくせんまさやさま、 ..
by walk41 at 05:02
いつも楽しみに拝読してい..
by じゅくせんまさや at 19:06
教員の労働時間は確かにブ..
by Koji at 22:22
大学は学校教育法上「学校..
by 回答者(仮名) at 17:35
施設管理のスペシャリスト..
by Kazuki KONAKA at 15:53
初めまして。 昨日子供..
by まさに。 at 10:33
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
伝統的なものだった das..
at 2018-11-19 13:16
アンコール encore
at 2018-11-19 06:59
上げた拳 gehobene..
at 2018-11-18 09:53
クリスマスマーケット We..
at 2018-11-17 16:57
ハンガリーの「ナチス」 Pf..
at 2018-11-17 07:45
メニュー Speiseka..
at 2018-11-17 01:34
郵便ポストの色は違えども ..
at 2018-11-16 18:44
他言語に対する心理的障壁 ..
at 2018-11-15 07:42
クリスマスムード Vorw..
at 2018-11-15 05:54
回転 gedreht
at 2018-11-14 20:31
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧