人気ブログランキング |

学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

70年前の記憶

…私は、小学校1年生だったんです。11時までね、病院の屋上で遊んでいて、連れがお手洗いに行きたいって言うたから、エレベータで下に降りたんです。降りて扉が開いた瞬間に、ピカってきて、その瞬間に気絶しました。

気がついたら真っ暗でね。私は目がやられたと思ったんです。爆弾では目がやられるって聞いてたから。けどね、しばらくしたら少しづつ回りが見えてきて、実はそれくらい真っ暗やったんです。そうこうするうちに、火が出てきて、これはやばいって、山に逃げたんです。

山には多くの人が逃げて来てました。一晩過ごしてから、街に降りてきて、病院に行ったんです。病室には16人いたんですが、生き残ってたのは4、5人でした。その人たちに水を汲んでこようと思って、転がってた一升瓶を持って、破裂した水道管から水が出っ放しになっているところに行って、水を汲みました。

戻る途中、黒焦げになった人が倒れていて、生きてるんですよ、目だけこっちを見るので、水を飲むかと聞いたら、うなづくから、一升瓶の水を飲ませました。ゴクゴク飲んだら、大きなため息みたいな、ふう、ってつくんです。美味しいでもありがとう、でもなくてね。そんな風に、三人くらいに飲ませたら水がなくなって、また汲みに行きました。そしたらまた水を途中で倒れている人にあげて、また水がなくなって汲んで、やっと病室にたどり着いたんです。

それからまた水を汲みに行ったら、10分か15分前に水を飲んだ人がみんな死んでました。それで病室に戻って、「おいちゃん、僕の水は飲まんほうがいいです。僕がさっき水をあげた人はみんな死んでしもうた。僕が水をあげたら死にます。」って言うたら、「坊な、それは違う。その人らは水を飲んでも飲まんでも死んだんや。最後に美味しい水を飲ませてあげて、ええことしたなあ」って言われました。

あとで知ったんですが、その人らは熱風で声帯をやられたんです。だから声が出んで、ふうってため息みたいなんをついてたんです。そんなんで僕が水を飲ませた6、7人が死にました。…

2016.2.8 長崎原爆資料館にて、被爆者のお話を伺う機会があった。
1945.8.9 午前11:02、長崎市上空で原子爆弾が投下され、その直後に約7万人の人々が、爆風、熱線、火災、放射線などによって亡くなった。当時、長崎の捕虜収容所にいた連合国軍の兵士を含めて。
by walk41 | 2016-02-09 21:10 | Comments(0)
<< 集団としての課題? 授業の環境 >>



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
土産物売りのタフさ Stae..
at 2019-07-22 14:01
教員という社会的な立ち位置 ..
at 2019-07-20 05:53
学校今昔 Schule, ..
at 2019-07-18 22:02
嬉しいこと was ich ..
at 2019-07-17 18:51
転入 Versetzen
at 2019-07-16 08:19
「その他」の離職理由って? ..
at 2019-07-15 14:27
データを眺める Schaue..
at 2019-07-14 19:13
偏見? Vorurteil?
at 2019-07-13 08:46
学力と幸福 Leistung..
at 2019-07-12 11:55
段落を作る Abschni..
at 2019-07-12 06:38
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧