冷静でありたいつもりだけれど、結構腹立たしい。ある学校での校内研究の進捗について、これはないだろうという報告を受けたからだ。
曰く、これまでの一斉授業の問題を踏まえ、生徒が活動する授業を目指す。そのためには生徒同士がつながらなければならず、よって発言し合う授業を作らなければならないと言う。
冗談じゃない。「個の学力育成を図るには、一人一人が切り離されていては不可能」なんて、いつそんなことを思ったん? これまで思いもしなかったのなら、とんでもない方針転換だよね。個の学力育成を図るのに、個別対応が必要と考えてはいなかったのかしら。自己否定ですらあるような大きな変更でありながら、すらりと記してしまう軽さ。本当に振り返り、見つめた結果なのだろうか。
またこうも思う。教科や単元によっては、従来型の授業も有効ではないのかしら。話し合うための用語も知らず、何を話せというのだろうか。こうした、あまりに漠然とした話が素朴に「研究資料」として載ることも理解できない。
つまり、①これまでの活動(実践)の価値観、論理、方法に対する総括がどれほどなされたのか、②これからの活動をどう見通して、「アクティブ・ラーニング」型にしていくと考えているのか、の点でいずれも分析がなされていないのではないか。
先行研究を踏まえずに、毎年のように「ああ、今年は何をしたらいいのかなあ」と頭を抱える研究主任(研修主任)のあり方を始め、かくも分析そして診断という力量がそもそも想定すらされていないという状況、これを憂うずにどうしろというのだろうか。