9月1日、いろいろな節目でもあるだろうけれど、学校教育の世界では、子どもの自殺がもっとも考えられる日として、「登校は義務じゃない」と注意喚起、電話相談、緊急受け入れなどが準備されているという。
この根拠になるのが、1972-2013年の「18歳以下の日別自殺者数」で、これによると9月1日の自殺者数が突出していることだ。夏休みが終わり、嫌だった人間関係が戻ってくる、勉強にまた向かわなくてはならない、といった圧力から生じる自殺もあるだろう。
もっとも、この日が2学期の初日だという学校はどれくらいなのだろうか。20年も遡れば大方そうだったと思うが、学力向上の掛け声とともに夏休みが短くなっているように見える。私の近くでは、今年度で言えば8/23,24から始まっているところがあり、9月からと聞くと、いいなあと思わされるほどである。ならば、9月1日だけに注目しても仕方ないではないか。でも、それを言い始めると、キャンペーンの効果が弱まってしまうし。
社会現象を捉えようとするときのジレンマはここにも見られる。短い期間の観察、記録では「たまたまそうだっただけ」と批判されるので、長期的に見ようとすると、対象やその環境が変わってしまうことがある。
先日、1988-2013年の170万人の患者を対象に、誕生月によりなりやすい病気があるというアメリカ、コロンビア大学の研究を知ったが、時間の長さと合わせてケースを大量に集めることで、より信憑性のある研究が目指されているのだろう。さりとて、たくさんのケースを扱うにはお金もそれこそ時間もかかる。コンパクトにわかりやすい知見を提出するのは、自然科学も同様だろうが、社会科学についてもなお難しい。