石黒圭『語彙力を鍛える』光文社新書、2016、を読んでいる。著者のねらいが明確で、語彙の量と質についての説明が構造化されており、読みやすい。
これを読む中で感じさせられる。学校教育に関わる人こそ、語彙と論理をを豊かにしなければいけないなあと。なぜって、学校教育、なかでも普通教育を扱う学校では、児童・生徒が身につけた結果から、いわゆる教育実践の妥当性を検討することが難しいので、実践という行為は、おおかた思いや願いとして投企される、いわば賭けとして行われるのに留まる。そこで、事態を捉え自身を支える上で不可欠なのが語彙とこれをつなぐ論理だからだ。
たとえば、葛藤という言葉が自分の中に収まっていなければ、一度決めたことを反故にする事態を了解できない。同調という言葉を知らなければ、主体性に疑いを投げかけない。発信と受信のあることをわかっていなければ、言ったのだから伝わったはずと思い込む。
事実のある面を切り取った言葉を多く知り、それらの組み合わせを増やすことで、より多くの事実とそれが織りなす世界に触れることができる。ましてや、学校教育は授業など瞬間のうちに変化する事柄を含んでおり、その都度、適切な認識と判断が求められる。そこで直接、間接に語彙とそれらの組み合わせが豊かなことが、「よりよい」実践につながると言えるだろう。