東南アジアを訪れていました。最低・最高気温の変化はほとんどなく、ほぼ赤道直下のため、日の出日の入りの時間も年中同じくらいというところです。
前回は感じなかったのですが、道路を横断しようとして歩行者用信号が青になるのを待つと不思議なことが起こります。いつまで待ってもその信号が青にならないのです。しかも、ようやく変わったと思いきや、青なのはあっという間だけで、途中から駆け足をしなければ渡りきれません。これでは足の不自由な人やいわゆるお年寄りに意味のない青信号でしょう。
そこで周りを見ると、歩行者用信号は赤なのだけれど、クルマやバイク用の信号が直進は赤、右折のみ青といった時に、つまり、歩行者から見て、部分的に横断できる時に、渡れるだけ渡ってしまうのです。小さな子を連れた両親と思しき3人を見ましたが、歩行者用は明らかに赤なのに(というか、ほとんどの時間は赤なので)、車両が止まっている瞬間を狙って、早足で少しずつ渡っていきました。5歳くらいの男の子は、"Let's go, let's go" とはしゃぎながらです。
歩行者にはまったく理不尽な信号と私には思われたけれど、この中にあって、どうすれば渡ることができるか、それぞれが自分なりにルールを作らざるを得ない、そんなたくましさを身につけざるを得ないと、実感できました。
この点、生きる力、問題解決学習、あるいはアクティブラーニングといった言葉が飛び交う日本は、自分で考える必要がないほどに、ルールが社会的に網羅されており、結果、個人の裁量や余地が減っているのだと解釈できるでしょう。
事故というリスクを減らそうとすると、自分で認識、判断するというリターンを得ることが難しくなる、という問いにいかに向き合うか、難しいことですね。