読売新聞の編集後記(20170130)を読んだ。自殺で亡くなる人の少ない地域の共通点は何かと探した精神科医の発見を記している。それは「疎にして多」なのだとか。「お付き合いはあいさつ程度で、マイペース。でも、みんな顔見知りで孤立は起きにくい。」
翻って、3.11東日本大震災以降、あるいは大きな災害が起こると強調される「絆」。改めて辞書を引くと、こうある。「1.人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。「夫婦の絆」、2 馬などの動物をつないでおく綱。」(goo国語辞書)
いささか意地悪に取れば、絆とは逃げ出したくても逃げられない綱とも言える。嫌だけれど解き放てない、親子・親戚関係、夫婦関係、友人関係、職場の人間関係…。そこに、諦め、長いものに巻かれろ、お山の大将(小天皇)、いじめという同化と排斥が起こる。絆ってそんなにいいもの?
濃口ー薄口の喩えも遣われるけれど、つまるところ、ほどほどの強さ、弱さが心地よいのだろう。絆を求めすぎると拘束に近づくし、かといって何のつながりもなければ孤立になる。
だから、「つながりが大切」「社会関係資本が有効」と一面だけを述べないこと、「つながらないことも大切」「社会関係資本には負債も含まれる」と合わせて考えること、そんな認識上の力が大切になる。「わかりやすい話」ばかり流されないこと、それは姿勢であると同時に鍛え上げられるべき能力と心得るべきではないだろうか。