教育というのは実に厄介である。なぜなら、相手に幸せになってほしいと基本的に思っているのに、結構な確率で「幸せの先取り」(私の知る限り、諏訪哲二の言葉である)をしてしまう、頃合いの難しさが顕著な仕事一つだからだ。
相手が大人ならば、何が幸せかは相手に任せればいいけれど、いわゆる年端もいかない子どもの場合、そうもいかないと考えられるから、大人に任せられる。その結果、たとえ相手が望まないことでも、それは「よくわかっていないのだから」と一蹴されるのがオチだ。
こうした子どもへの思いがともすれば、教育する側で暴走してしまいかねないということをわかって、教育の仕事に就くのは本当に難しいことだと思う。相手のことを思ってやっている自分を疑うのは、極めて困難だ。そんなギリギリのミッションに臨みたい、またやり遂げることのできる次の世代を待ちたいと思う。