2011.3.11の東日本大震災で地震と津波の被害を受けた学校の一つ、仙台市立荒浜小学校を訪れた。震災遺構として、2017年春から一般公開されている。
津波といっても海水だけがやって来るわけではない。途中で飲み込んだあらゆるものが渾然一体になって、いわば塊として押し寄せて来るのだ、ということを、当時の写真や校舎に残された傷あとから知ることができた。
一階の保健室にやってきたのは、複数の自動車である。すでにかなり潰されたクルマが諸々のものと一緒に、窓を突き破って屋内に突っ込んだ。児童と教職員、避難してきた住民はすでに二階以上に上がっておられたようだが、凄まじい破壊力だったことだろう。
日頃、授業やゼミあるいは研修で、学校の暴力的性格を述べる自分ではあるけれど、こうして学校が壊れていったさまを知るに、形容できない悲しみに襲われる。児童・生徒と教職員が一日の一部ではあれ、生活を送る場である学校の大切さにも改めて気づかされる。