京都府下の小学校教諭から、とても興味深い話を伺う。
ここに紹介しても構わない、と了解を得たので、できるだけご本人の言葉で以下を記す。
…給食指導についてある先生は「魚の骨は全部食べないとダメ」と厳しく、一年生の子どもが残した骨も、その骨だけで食べさせていた。対して別の先生は「骨なんか残したらいいよー」と言って、三年生の児童で魚が苦手な子はどんな魚の骨も残していた。「残してもいいよ」との声が聞こえる一年生は、担任教員の見えないように骨を床に落とす様であった。
さてこの学校は、全校ランチルームでの給食だったため、こんな正反対の指導ではいけないと、給食主任だった自分は悩んだ。そして、一番大切なのは子どもが自分で食べる、食べないを判断できるようになることだと思い、「小アジの南蛮漬とかシシャモフライのように骨ごと食べられるものと、鯖の煮付けのように残すべき骨のあるもののあることを会議で確認し、魚の種類、部位、調理方法によって、食べる、食べないのちがいがあるのだと、全体に伝えた。
予め相談していた料理員さんからも「今日の骨は食べられるよ」とか「今日の骨は残してね」と骨入れの器を置いて下さるようにもなった。骨を食べるのは、お皿が綺麗になり、カルシウムも取れる反面、大きな骨を食べさせる危険も伴う。…
給食とも繋がっているが、食事のありかたは優れて私事だろう。そこに教員がいわば自分の好みでときに客観的基準を無視して、指導という名前の暴力を振るうことは、教員みずからが、保護者そして児童との葛藤状況を生み出しているとも言える。
教員間の違いが児童に不幸をもたらすだけでなく、いっそう正解のない問題にさも正しいかのように振る舞う各教員の存在もすこぶる問題である。「モンスター・ペアレンツ」は保護者だけによって誕生するのではない。私事ごとに当然かのように口出しをする教員の言動を受けた場合もあることを踏まえなければならないと思う。