今は文化芸術系の分野に進んだが、学生時代は教育系の大学で過ごした君が思った、という話に触れることがあった。私の聴いた限り、こんな感じだ。
劇場の業務の一つとして、小学生たちと接する機会が最近あり、多くの子どもたちと楽しく過ごした。が、ふと周りを見ると、ぎごちない同僚たちの姿が目に入った。いつもは、東京の旧帝国大学卒業生だからと恐れおののいていた人や、外国で調査をしてきた人なんだと、ちょっと怖々だった同僚たちが、子どもとうまく接することができない様子に驚かされたのだ。誰もが、子どもといわば自然に関わることができるわけではない。これはいったいどういうことだろうか。
振り返れば、大学時代の教育実習や座学を含む教育-学習に関わる経験が、それなりの子どもとの接し方を導いているのではないか、と。学生時代は、大学でいったい何を学んでいるのだろうと思わなくもなかったが、後になってみれば、知らないうちに、子どもと関わるいわゆる力量のようなものが身についていたのではないだろうか、と。
教育-学習に関することだけでなく、学んだことは実は自分にはよくわからないのだということは聴くに値すると思う。もちろん、振り返りや自己評価も大切だろうけれど、自分では捉えきれないものがどうしてもあって、それがふとした機会に気づかされることがあるという構図だ。
翻ってみれば、学んでいる当人ですらどうなのかがわからないのに、第三者の一人でもある教員がいかに「子どもの学び」を捕捉できるのだろうか。つまるところ、教育や学習といったものは、当事者も掌握できない「ロマン」の世界に属すると見なした方が適切ではないか、とも思わされるのだ。