学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

「させていただく」

この言葉を取り上げた書籍もすでにあるので、目新しいことでは決してない。むしろ、市民権を得て定着してきたのだなあと感じさせられる昨今である。

「役員をさせていただいた」「いい経験をさせていただいた」と、自身がしたことを指してすっかり遣われるようになった「させていただく」。以前ならば、他者の領分に入った失礼を詫びる意味で遣われていたと思う。「あなたの座席を変更させていただいた」というように。自分のことについて使役的な言い方をする必要はないからだ。

けれど、この言い回しは今や中学生ですら当たり前に見られることに驚かされる。「させる」は使役ではなく、「する」の変形のように意味づけられ、これに「いただく」という謙譲が伴うという感じである。「立候補させていただいた」「発表させていただいた」と同じ調子のオンパレードなのだ。どれほど謙虚な姿勢なんだ、もっと傲慢に、いやせめて「普通」でいいではないか、「立候補を決意した」「訴えた」と言えばいいのに。

世に日本の青年の自己評価が低いことを問題視する立場がある。「自尊感情の低さが自身のなさ、生きる気力の弱さにつながっている」という論調である。けれど、この反対も言えるだろう。かくも自らをへりくだる言葉に馴染むほどに、青年の控えめさ、物腰の低さは「学ぶべき者」として、まことにふさわしいことではないか、と。

学ぶためには、己の小ささや至らなさを知らなければならない。間違っても、今のままで十分、怖いものなどないといった全能感を捨てなければならない。「自分は間違っていない」「自分以外はあんぽんたん」と思っている場合に、学ぶ必要などないからだ。この点で、日頃の言葉遣いは重要である。なぜなら知らず知らずのうちに自身を強く枠づけるから。「私のような者が」「恥ずかしながら申し上げれば」「ぜひ教えてくだされば」という姿勢は、学ぶための前提ですらある。これらを伴うことなく、「何か面白いことをやってみろよ」といったお客さん気分で教室にいられては。学ぶことなど覚束ない。

つまり、学びを促す上で、謙虚すぎる言葉づかいに親しんでいることは望ましいことですらある。こんな言い方が一部とはいえ、若い世代になぜ浸透しているのかはわからないが、「させていただく」表現に違和感を感じない人々が台頭すれば、より平和な世の中になることだろう。たとえ野心的ではないにしても。

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by walk41 | 2017-11-23 16:09 | ことばのこと | Comments(0)
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教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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