知り合いから、娘さんが通う小学校でこんな機会を得たと聞いた。間接情報で恐縮だけれど、興味深いと思い紹介する。
全校規模が200人くらいの学校で、ある日、すべての児童が学級担任ではない別の教員を事前に選び、「相談」と称してその教員に会いに行くという企画があったという。その4年生の女の子は特段、相談事もなかったようだが、普段とは別の教員と10分程度、一対一でおしゃべりをしたそうだ。いい機会になったのではないだろうか。
これを聞いて、いまドイツでうかがっている中等学校のことを思い出した。そこでは、教員が10名ほどの生徒を担当し、基本的に2週間に1回(実際は必ずしもそうではないが)、コーチングの時間を設けている。それは、学習の進捗を確かめるとともに、生徒が自発的に目標に向かうよう促す場となることが期待されているが、これを担当するのは、生徒の直接の担当(学級という概念がないので、表現が曖昧な点はご容赦を)ではない教員という点で特徴的だ。なぜなら、担当の教員との関係ゆえに生じている問題もあること、そして他の教員にならば話せる状態のあることを想定しているからである。
日本の昨今の「チーム学校」論は、目的合理性に傾斜した、何かを達成するための組織として考えられているようだが、そうではなく、いわば緩やかなつながりの一つとして、学級担任や教科担任以外の職員と接する機会を設けるのは、とても大切ではないだろうか。
児童・生徒にも、大人と同じように人間関係の「濃い・薄い」はあってしかるべきだろう。ならば、彼ら/彼女らと教職員との関係についても「濃い」ものばかりではなく、「薄い」ものも設計することの意義が確かめられるべきだ。この点、学校教育論の宿命かもしれないが、そこではあまりに懸命に、つまり「濃い」関係に(「社会総掛かりで教育を」といったように)終始していると言えるだろう。