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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

名前

宮原浩二郎「名前使い分け、複数の自分に」(朝日新聞、20171212)を面白く読んだ。

近代以前の日本人は、幼年期の名前、成人してからの名前、そして老後の隠居名があったという。社会的立場の違いを反映して名前が替わり、名前が替わることで自身も変化していったのだろう。

それが、生涯ひとつの名前に限られるようになったのは、戸籍として個人を管理するようになった近代国家の誕生をもってである。ひとりの人間に日本人として戸籍を与え、就学時期を迎えれば学校に行くようにと案内を出し、結婚すれば姓を統一させ、怪我や病気に備えて国民健康保険、老後に備えて国民年金、その他、自動車運転免許証、クレジットカードの顧客名簿など、あらゆる情報を一元的に管理できる。いまや、マイナンバー制度の導入によって、税金逃れも許さないという体制だ。

ちなみに、天皇制度もこれに準じているとも言える。一人の天皇の元号が一つという制度は、明治から始まったもの。きわめて新しい仕組みである。それまでは同じ天皇でも、飢饉や災害などを機に、いわば験担ぎ、イメチェンとして元号を替えることが行われていたのに、一人に一つに限るようにしたのは、一人の天皇が一つの時代をつくる(一人の人間が一つの人生を歩む)というメタファーを成立させるためである(今まさに「平成30年間の総括」という記事が見られるように)。

こう考えると、人生の局面によって名前を替えるのも健康的に生きていく上での一案なのに、これを認めない制度のもとで、しんどい人がいるのでは、という指摘はなるほどである。私は「よしひろ」という名前だが、私が子どもの頃、私の子ども時代を知っている人、そして今であっても甘えてよい関係の人にとっては「よっちゃん」となる。こうした「ちゃんづけ」を大人になってたとえば、親から呼ばれることの恥ずかしさや、不満を感じたのは、おそらく私だけではないと思う。

となれば、いわゆる肩書きを得たり、また変わったり(思えば、私も、大学院生→助手→講師→助教授→教授、といった変化を経てきた。もっとも、私の知る限り大学人は驚くべきほど「子ども」のままだが)や「お父さん」「お母さん」と呼ばれるようになっていくこと、さらには退職後の「地域デビュー」では会社勤めの頃の名刺を出すなど愚かなことはしないようにという話が、つながってくる。

戸籍上は一人の人間として一貫しているけれど、何十年という時間の中で、周りから注がれる眼差し、自分を見つめる眼差しが確実に変わることに伴うエピソードは、たとえばキャリア論(教育学上の議論に引きつければ、中央教育審議会答申「教職生活の全体を通じた. 教員の資質能力の総合的な向上方策について」(2012))とも接点を持つだろう。先の宮原さんが指摘される、インターネット上のハンドルネーム、ある筋の職業上の「源氏名」などは、名前を替えられない制度に対して、知ってか知らずか異議申し立てをしていることの現れと見るのも興味深く思う。

by walk41 | 2017-12-14 10:49 | ことばのこと | Comments(0)
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