学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

正直

週末をつかって、学生のレポートを読み終える。仕事だから当然だが、けっこう骨が折れる。

その作業の中にあって、懸命に取り組んだ学生が多いことはとても喜ばしい。フォーマットの整い、キーワードの活用、論理的展開、アクセント豊かな語尾、学生自身の変化とテーマとの関係が明確、といったレポートは、読んでいて嬉しくなるほどである。

さて、こうしたレポートを読んでいて、受け止めに迷うのが「正直」という言葉の遣い方である。「正直無理だと思う」「正直精神的に病むと考える」、あるいは「正直に言えば」という記述だが、自分としてはなかなかしっくりと来ない。なぜそう感じるのかを考えてみると、私が次のように理解しているからだろうなと気づいた。

社会科学(と称する)の分野の記述は、複数の事実の関係を捉える(説明する)ことを目指すものであり、そこに事実を観察する人間の存在は、直接には現れないか、現れたとしても、せいぜい控えめでしかない、というのがマナーである。人文系であれば、「私は…感じた」「そんな感情を僕は抱いた」と書いても一向に構わないのだけれど、社会の出来事を説明可能なように想定し、それがよりできることを目標にする分野では、そうした観察者、当事者の主観性はできるだけ抑制されるべきと考えられる(もちろん、そうしたことは不可能だと、参与観察の立場があるし、社会を科学的に捉えることはそもそもできないという立場もある)。

こうした文脈にあって、自身の受け止めや感情の表出と親和性の高い「正直」という言葉を見ると、場違いに思うのだろう。感想、雑感を記す中では何とも思わないこの言葉が、可能な説明に臨むべき箇所で見られることに対して違和感を感じるのだと思う。

科学としてより純化されていることが必要な自然分野を想定すれば、明らかだろう。津波やハリケーンの研究レポートに「正直、こんなに大変だとは思わなかった」と記されていれば、調査後の雑記としては読めても、「本論中には入れるなよ」と、突っ込みの入ること必至である。学生にも少しづつでいいから、こんな感覚を培ってほしい。



by walk41 | 2018-01-22 10:37 | ことばのこと | Comments(0)
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