学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

「いじめ」問題の見方

中学校教員と話をしながら、なるほどと思わされた。その一つは、いわゆるいじめ問題についてである。

「嫌な気持ちになった」を含む「いじめ」被害について、ある生徒から訴えがあるとする。現在の定義では、本人がそう感じたら「いじめ」の認知件数に含まれるが、日頃、生徒たちに接している教員が感じるのは、むしろ、その生徒がまわりに、ちょっかいを出して(関西では、「要らんことしい」とも言う)煙たがられた結果、たとえば「みんなが自分を避ける」、「自分が仲間はずれにされている」と感じるに至っているのではないか、ということだ。

「いじめ」の起こることが望ましいとは決して言わない。けれど、これは対人関係上、一方向とは限らず、また、受け止めを問題にする限り、敏感さ/繊細さの度合いによって事態の認識が変わってくる点で、けっこうな相対感覚を要するテーマなのだと改めて思う。「いじめられた」と感じる生徒が遠因で事態が発生している可能性、「気にしい」が著しいゆえに認識されうる可能性も含めて(逆に、閾値が高すぎて、つまり、鈍いゆえに問題である可能性も含めて)、考える必要があるのだなあと思わされる。

この点で「いじめられる方にも原因がある」という生徒の言い分は、限定付きながら妥当性を持っていると思う。以前の拙ブログに書いたが、鼻水を垂らす児童がクラスメイトを追いかけた結果、当の児童が「みんなにいじめられている」と言い出すほどに、まわりから忌避されたケースを思い出す。回りの声を勝手に代弁すれば、「あんたがウチらに嫌なことをするからやんか」だろう。ときに、嫌な思いをする児童が多くなるほど、「いじめ」は認識されにくくなるのだろうか。

かくも、コミュニケーションの起点と展開は実に曖昧で、対人関係についてはおよそ正確に事態を捉えがたい。どこから始まったのか、何がどうなって、こうなったのか。漏れなく説明するのが非常に難しいのは、関係者の怠慢のせいとばかりは言えない、なぜって、当人ですらよくわからず、受け止めの主観性、記憶の混乱、感情のもつれ、といっそう複雑になっていくのだから。



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by walk41 | 2018-03-13 06:11 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)
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