学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

自分を主語に他者のことを言う

みなさんは、自分を主語にして、他者のことを言う、言い方を換えれば、他者が自分のことを、あたかも自分のことかのように言うのを聞いたら、どう思うだろうか。

「私は静かにします」が、自分のことを自分で決めて行動するさまならば、「どうぞお好きに」で済む話だ。けれど、これを他者によって言われると不思議な感じがしないだろうか。「なに勝手に言うてんのん」って。

ところが、学校ではこうした不思議な言葉がまま飛び交うのである。自分のことなのに教員/教師という他者が、あたかも自分のことかのように言うことが。

「今はしゃべりません」「そこで立ちます」「宿題忘れはしません」と、教師自身のことかと思えば、実は児童・生徒のあるべき行動について話しているのだ。

この言い方は、二つの問題をはらんでいる。その一つは、私がそう言いたいのに、その点を隠して、あたかも中立的な、あるいは神の言葉かのように振る舞うことで、普遍的、一般的かのように装うこと。もう一つは、そう言いたい自分(たち)の暴力性を糊塗しているということである。

前者は、たとえば、かつて学校で席巻した教育勅語にも通じる。この文書を指して「言っているのは、ごく当たり前のことじゃないか」と擁護、肯定する人が今なおいるが(「当たり前のことなら、なぜことさら言われなければならないんだろう」という疑問は、この手の御仁には無縁だ)、それは誰が言っているかをぼやかしている点が問題なのである。発言の責任の所在がはっきりしない。

後者は、自分がある価値にもとづき他者を操作したいことを「〜しなさい」「〜してほしい」とは表現せずに、当人がそうして当たり前という態度で臨むことで、強いているのを隠すことだ。良く取れば、これは「自然に」そうさせているとも言えるが、馴染んでしまうと恐いことでもある。

こうしたお作法が何となく通ってしまうこと、つまり説明を伴わないことに、学校のルールの根拠のなさを見出せる。集団生活であるのは学校の都合であって、児童・生徒がそう望むからではない。だから、当たり前のように言うのではなく、より説得的であってほしいと思うのだ。


by walk41 | 2018-03-27 06:37 | ことばのこと | Comments(0)
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