街中にいると忘れがちだが、日本は島国で、離島もたくさんある。橋が架かり、行き来が随分と楽になったところがある一方、島内で生活をおおむね完結せざるを得ない例も少なくないだろう。
そうした島にも学校があり、高校まで置かれている場合もある。しかも普通科であったりする。となれば、専門の学科、いわゆる職業学科を視野に入れていない地元の中学生にとって、この高校に通うことは大きな選択肢の一つになるだろう。なぜなら、中学生の段階で、農業、商業、工業、水産などと専門性を絞ることは、かなり難しいだろうから。
だとすると、その普通科の生徒間の学力的「輪切り」は、けっこうな厚みになる可能性が高い。複数の高校があるほど、輪切りの厚みは薄くなる。十数校を数えるほどであれば、一番手高校、二番手高校と、明確にランキングまでされる。けれど、一校のみだとそうはいかない。
この結果、普通科に在籍することは、まさに普通 general(一般的な)に適うものとなる。いろいろな学力状況の生徒がいる。得手不得手もきっと多様なことだろう。そうした生徒が一緒に学んでいるということの「普通さ」は、輪切りされていることに馴染んだ立場からは、新鮮なことかもしれない。
かたや、インクルージョン(包摂)やインテグレーション(統合)、あるいはさまざまなマイノリティを視野に入れた教育が叫ばれてもいる。その先取りとは言えないだろうが、「多様であることが普通」な学校に通う高校生は、島国そして山国日本で意外に多いのかもしれないな。