第二次世界大戦を通じて国土が壊滅的な状況に陥ったドイツだが、アメリカ、フランス、イギリスに占領された西側部分は、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)として、1960年代に入って「経済の奇跡」と呼ばれる好景気を迎えることになる。
ポーランドやチェコスロバキアといった、かつてのドイツ領から追われた人や、東ドイツからの難民を受け入れることで、労働力のバランスをとっていた西ドイツだが、1961年にはベルリンの壁が築かれたこともあり、労働力の深刻な不足に見舞われる。そこに求められたのが、お客さん労働者(Gastarbeiter)である。1955年のイタリアを皮切りに、1968年の旧ユーゴスラビアまで、地中海沿岸の国々と、労働者の募集に関する協定を政府間で締結、1973年までの間に、実に1400万人の外国人労働者がドイツにやってきた。
写真は、イタリアからの労働者がドイツに到着した時の模様を示しているが、注目したいのは、彼らを指して、Seasonarbeiter(季節労働者)と表現していることである。ドイツで求められる労働力を提供してもらえれば、じきにそれぞれの国に帰る人たち、だから、生活の基盤、なかで言語を学ぶ機会の提供については、ドイツの眼中になく、ましてやドイツで家族やコミュニティをなすとは考えていなかった。
ところが、ドイツに残ることを決めたおよそ300万人の人々は、自国の習慣、宗教、食事、衣服といった習俗を持ってきただけでなく、次の世代(第二世代)をもうけ、コミュニティをつくり、ドイツ社会を塗り替えてもきた。今はもう第三世代、祖父母の国ではあっても自分がいるべき場所とはとても思えない、そうした人々が増えつつある。
壮大な社会実験ともいえるが、誰も計画して実施というものとは程遠い、予期せぬ結果をもたらしている一つの事例と言えるだろう。