この言葉をの残したのが、詩人としても有名なハインリッヒ‧ハイネ(1797-1856)だとは、全く知らなかった。
デュッセルドルフ生まれのユダヤ人で、十字軍に批判的でもあり、自由主義的な政治姿勢を持っていたハイネは、反ユダヤ主義者(アンチセミティズム)や国家主義者から死んでもなお敵対視された。若きカール‧マルクス(1818-1881)とも交友があったという。
その彼が、1823年に発表した悲劇"Almansor"では、のちの1500年にスペインの町グラナダになるところで、キリスト教の司祭がイスラム教の経典コーランを燃やしたことを描いており、この有名な引用はこの作品から来ている。
そして、まさにまったく悲劇的なことに、このハイネの言葉は、作品発表の110年後、1933年にヒトラーによる独裁の時代が始まり、ハイネの作品は退廃芸術として燃やされる一方、ユダヤ人ほか夥しい人々が殺され燃やされるに至って予言となった。悲しいまでの慧眼である。