人間の知覚と認知の不確かさに、いま関心を持っている。
アメリカのテレビドラマ、「ER 緊急救命室」のシーズン5、エピソード20(1999年)を観ていたら、次のセリフに出合った。
街が夜に停電、病院も電力を失う中、患者が何者かに襲われる。不審な男を見たという女性医師エリザベスが話すシーンだ。
「見かけた男をよく覚えてない。中肉中背でー、浅黒いのでラテン系か中東系か、なまりはなくて」そして次のセリフである。
「でも役に立ちたい一心で記憶を作っているのかも」(I’m just afraid that what I do remember I’m making up)
いかがだろうか。彼女は、思い出そうと頑張ることで、事実としてはなかったかもしれない事柄をそうだったのだと作り上げてしまう可能性に対して自覚的である。思い出せるはずだからと自分の頭の中から引き出される記憶が、本当のことではないかもしれないという危険性を踏まえている。
不審な男を彼女が見たのは、數十分前のこと。ほんの少し前のことなのに、間違いのない記憶を持っているわけではない、そして懸命になることでそう思ってしまいがちということに着目している、この作品の脚本の思慮深さを見る。
「見たんやから、間違いないって」と言った話が、ひょっとして本人の知らないうちに願望や思い込みを通じて作られたものであるかもしれないということ、「教育労働における記憶と記録」というテーマが立てられるのではないだろうか。