大今 良時の原作『聲の形』を漫画ではなく、映画で観た。
聴覚に障碍のある「硝子」と、彼女をかつていじめたものの、高校生になり自身を苛む「将也」を中心に話が進む。両者の家族、友人と登場人物が、それぞれに伝わらない聲を持ちながら日々を送っているとも観れる作品かと思う。
冒頭、転校生だった小学校6年生の硝子に対して、聞こえないことでコミュニケーションが取れず、ぎくしゃくする子どもたちによる理不尽ないじめのシーンが続く。筆談用ノートに罵詈雑言を連ねる、数ヶ月のうちに補聴器を8個も壊したのみならず、最後には彼女が装着していた補聴器を引きちぎり耳から出血させる、水をぶっかける。教科書を池に投げ捨てる、と凄まじい。
私の小学校、確か4年生の時のことを思い出す。クラスに聴覚障碍の女の子がいた。今でも名前を覚えている。彼女が補聴器を付けていたのは憶えているが、どれほど聴覚があったのかは知らない。そのクラスの男子たちが彼女にしたのは、いわゆる健常者には奇妙に聞こえる彼女の独特な話しぶりを、意地悪くも真似て笑ったということである。その男子の中に私もいた。
映画のようなえげつないことはなかったから、からかったに過ぎないと言えなくないとは思う。けれど、まったく理不尽ないじめであった、「正常」なことが当然で、そうでない人を嘲っても「正義」だという雰囲気がおそらくあったのだろう。
記憶の限り、それが長期にわたったとは思わないけれど、自分に都合良く忘れているだけかもしれない。また、短期だったから済むという話でもないだろう。申し訳のつかない残酷なことをした、私であった。