およそ上品なことではない、愚痴である。
ある会議のことで、教育委員会の指導主事と電話で話した。事前打ち合わせをしたいと言われたので、その日程の調整をするべく話していたのだが、打ち合わせにどれくらいの時間を要するかが伝えられなかったため、こちらから尋ねると、「最低でも、1時間は」と返ってきた。
この一言で、まだお会いもしていないこの方に感じていた、私の違和感が何によるのかがわかった気がした。場面にあった発言ではないのだ。
「できれば、1時間は頂戴したいのですが」と伝えるのが、依頼する側のものの言い方ではないだろうか。「上から目線」のつもりはない。物事をスムースに進めるためには、自分の言いたいことを少なくとも始めは、いわばオブラートに包んで表現した方が交渉上、賢明だと思われるのだ。まだ、相手とのラポールはおろか、顔さえ知らない状況なのに。残念なことに、相手に「厚かましい人だなあ」と思われて、わざわざ損をすることはない。
学力論でも非認知的能力(社会情緒力)という言い方を聞くようになっているが、これをどう捉えればいいのだろうか。これからの議論になるけれど、広義のメタ認知を駆使していないのではないかと思われるケースに出合うと、こうした能力の重要性が改めてわかるように思う。
お目汚しを失礼。