学部生への授業、この頃、梅雨もあって蒸し暑くなり、学生も疲れているのかもしれないが、反応が鈍いように思えて、ときどき「着いてきてる?」「ここまではいいかな」などと呼びかけをする始末である。そんな授業のあと、次のような感想があることに気付いた。
「先生への質問に答えるときに、間違えてもとりあえず答えてみるとか、答えを知らないのなら持てるデータから推測してみるといった発想が、自分を含めてみんな無いように感じました。正しい答え以外は、間違っている、言うべきではないという空気を、自分たちが教師になった際は作らないようにしなければならないと…」
なるほど。これはQuestion-Answerの問いで、答えの決まっていることを「常識」問題としてたずねた下りを指しているのだが、「正しい答え」があると感じるほどに、発言しづらいと感じるような身体に育てられてきたんだなあと思わされる。
大学でこうした類の問いは少なく、どう答えてもひとつの反応たりうるテーマが多いのだが、そもそも、問いかけに対する態度が「これで合っているのだろうか」と不安を抱くところから学生がスタートしているのだとすれば、自由な議論はかなり遠いところにあると見るべきだろう。高校までの「アクティブラーニング」に期待していいだろうか。