引き続き、映画「学校」(1993年)の台詞から。
教師、黒井がクラスにいる6人の生徒たちに言う。
「今年の謝恩会なんだけれども。カーッと明るいもんにしねーか。いつもみんなめそめそめそめそして、最後には抱き合って泣いたりするの、本当は俺嫌い。ね、泣いたって何一つ解決しやしないんだからね。だってこれからみんなはね、学歴社会。もう、大学を出たっちゅうだけで、馬鹿な奴が幅を利かしているこの不合理な世の中に飛び込んでってよ。それでもたくさんのね、偏見や差別をはねのけて生きていかなくちゃならないんだからな。え。そういう時にその、別れを惜しんで涙なんか流してる場合なんかじゃないよ。もう、そういう弱い人間であっていいのか。」
夜間中学校に在籍する彼ら彼女らを励ましたい、と思うがゆえの言葉、とはわかる。けれども、生徒の多くは学校に通いながらすでに働いており、「これから…世の中に飛び込んでいって」ではない。児童保護の観点から労働社会から隔絶されている義務教育段階の生徒とは、異なる。
また、「大学を出ただけで」幅をきかせられるほど、物事はシンプルではないのに、そう言い切ってしまう乱暴さにも閉口する。むしろ、タフに生きていくには、こうしたストレオタイプな物の見方は阻害要因になりうる点で、拙いことでもある。この点で黒井は「よい教師」とは言えない。
このシーンに、教員自身は大学を卒業して、倒産のまずない地方公務員な一方、このアドバンテージを得ることのない人間に対して、教員-生徒という非対称のコミュニケーション関係で説教や鼓舞を垂れている、という皮肉な構図を私は見る。そうならざるを得ないのかもしれないけれど、その際に自分のありようにどれだけ分析的であるのかが、教育的立場に問われる人間の誠意ではないかと、私は思う。