中西部ドイツの学校博物館にて。
1939年4月22日の日付が入った、ドイツ初等学校の生徒の作文があった。
昨日は総統の50歳のお祝いでした。この日はドイツ国民全体が幸せな気分に満ちていました。人々は家々を飾り付けました。この街の軍隊もお祝いのパレードを行いました。こうすることにより、私たちが総統の後ろにいること、そして、戦争となった場合には私たちが自身を守れることを世界に示すことができるのです。いくつかの外国の新聞、例えばイギリスは、アドルフ・ヒトラーほどドイツ国民を受けとめている総統はいないと書いています。私たちはこの2000年の歴史を振り返り掴まねばなりません、そしてローマ皇帝のことを。こうした出来事から、昨日の出来事は全世界に対して一つの教えを導くのです。
かくもヒトラーを指導者として崇拝し、ドイツ国民(民族)の一体性を強調するものとなっている。生徒が書いたこの文章を、教員が添削していたのである。
この作文から半年足らずで、ドイツは西側からポーランドに侵攻、その3週間後にソビエトが東側からポーランドに侵攻する。第二次世界大戦の始まり、そしてユダヤ人とポーランド人の大量虐殺の始まりであった。