学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

進化するサービス entwickelnder Service

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久しぶりに覗いたら、ショッピングモールに買い物カートのままに仕舞うことができるロッカーができているではありませんか。冷蔵ロッカーにも仰天しましたが、これにもびっくりです。顧客志向が強まっていることを感じます。

Auf einer Weile nach, wenn ich den riesigen Supermarkt geguckt habe, habe ich die Schließfächer, die man auch mit dem Einkaufswagen benutzen kann, gesehen. Daneben hat die gekühlte Schließfächer dort mich doch überrascht. Damit fühlt man sich die Entwicklung der Gäste-Steuerung Marketing.



# by walk41 | 2019-02-23 20:32 | Comments(0)

過剰では? exzessiv?

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大型ショッピングモールにて。従業員へのメッセージだ。一礼とはいえ、目の前はトイレへの通路、ここまで求めなくてもとも思う。けれど、一事が万事と徹底したくなるのが、マネジメントというものだろうか。

In einem Shoppingmall, steht ein Zeichen für Mitarbeiter auf dem Boden, das sie sich hier beugen sollen. Das ist zwar eine Sitte für die Gäste, aber hier ist der Flur für die Toilette. Muß es nicht so streng sein, wie das? Jedoch kann das genauso Management sein.


# by walk41 | 2019-02-22 16:08 | 身体 | Comments(0)

丁寧さ Höflichkeit, Vornehmheit

日本語について、とくに飲食店で聞こえる言葉に感じるのは、過剰なまでの丁寧さである。接客マニュアルとして事前に決められているものも多分にあるだろうが、臨機応変な対応として話される場合も多いように思う。

翻って、良し悪しはともかくも、そうした表現をドイツ語で聞くことはまずなく、それが日本語話者にとっての驚きや大変さ(しんどさ)に連なっているのではないだろうか。私が指しているのは、たとえば、次のような表現だ。

いらっしゃいませ。→ドイツだったら、hallo(こんにちは) かな。

あいにく、そのメニューは切らしておりまして、申し訳ありません。→ 「ありません」のみ。

10分ほどお時間を頂戴いたしますが、よろしいですか。→なし

ご注文、かしこまりました。→ OK が多いかな。ja,wohl(承知しました)という場合もあり。

大変お待たせいたしました。→なし。ただし、bitte schoen. Guten Appetit(どうぞ、召し上がれ)とは言われる。

お皿が熱くなっておりますので、お気をつけ下さい。→なし

真ん中に置かせていただいてよろしいですか。→なし

小皿をよろしければどうぞ→(分け合う文化が基本的にないので) なし

ご用がございましたら、そちらのボタンでお呼びください。→なし

お水/お茶のお代わりは、いかがですか。→なし(そもそも有料。ある中華料理屋で、頼んだジャスミン茶のお湯を足してほしいと言ったら、1ユーロ加算されたことがある。)

お皿をお下げしてもよろしいですか。→なし

おおよそこんな感じである。日本語での場合、くどいくらいの台詞の多さだろう。これでは、客が傲慢になり、いわゆるカスタマーハラスメントが起こるのも無理はない。

売り手と買い手は対等。だから、互いにそれなりに丁寧であることを願う。

Wenn man die Erzählung vom Bediener im Restaunrat in Japan hört, findet er sicher seine Höflichkeit. Viele von ihnen sind zwar als Manual vorher bestimmt, aber ich glaube sie sind manchmal jeglicher Fall gesagt.

Einige Beispiele kann ich hier zeigen, d.h.,

(Beim Eintreten) herzlich willkommen.
(Bei der Bestellung) Entschuldigung bitte, es fehlt jetzt leider.
(Bei der Zustellung) ich habe Sie lange für das Gericht warten lassen./ Sie müssten lang auf das Gerichte warten.
Passen Sie auch bitte, dass den Teller so heiss ist.
Kann ich diesen Teller mitten des Tisches legen?
Wenn Sie wollen, benutzen Sie dieses kleine Geschirr.
Wenn Sie noch etwas wollen, druecken Sie bitte den Knopf des Geraetes auf dem Tisch.
Wollen Sie (gratis) noch Wasser oder Tee?
Kann ich vielleicht den leere Teller von hier nehmen?

So ist das. Wenn man so viele nette Aeusserung hoert, kann es einfach die Belaestigung der Gaeste ergeben in Japan.

# by walk41 | 2019-02-21 23:46 | ことばのこと | Comments(0)

「構ってほしい」kümmere mich!

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日本のあるスーパーマーケットに張り出された「お客さまの声」と店からの返答。

「ドライアイスもハシも必要としないけれど、聞いてくれないのは不愉快だ。1回だけならまだしも、この頃ずっと聞かれた事がない。おたくの職員は弁とう等は手で食べる習かんがあるのか。次聞かなければ店長を呼ぶつもりです。そのかくごでレジに立ってほしい」

「いつもご利用頂き誠にありがとうございます。この度はご不快な思いをさせてしまいまして申し訳ございません。レジ従業員には箸が必要かどうかの伺いをするよう指導いたしました。もし万が一聞きもれがございましたら箸の必要の有無をお声掛け下さいますと大変助かります。」

恐るべし。これがカスタマーハラスメントか。何かの代償行為としてのイチャモンかもしれないが、「お客さま至上主義」の果てとも感じる。

私の小さな経験の限りで、店長の返信を南ドイツ風に書いてみよう。
「箸がほしいならば、売っているので商品棚から取ってくるように。なお、レジ従業員の業務を妨害する行為に対しては警察を呼びます。」

In einem Supermarkt in Japan, stehen wie unter eine Anzeige der Gaeste und eine Antwort der Geschaeft dafuer.

"Ich brauche zwar kein Trockeneis oder Staebchen, aber dass der Kassenberater das mich nicht fragt, ist aergerlich. Wenn es nur einmalig waere, kann ich das akzeptieren, jedoch werde ich waehrend dieser Zeit nicht gefragt. Essen Ihre Mitarbeiter Lunchbox ohne Staebchen, nicht wahr? Wenn ich naechstes Mal nicht darueber werde, rufe ich den Geschaeftsleiter. Dass soll die Kassenberater wissen."

"Vielen Dank fuer den immer Besuch von Ihnen zu uns. Entschuldigen Sie bitte, dass Sie schlechte Erfahlung bei uns gehabt haben. Ich als Geschaeftsleiter hat sicher meine Mitarbeiter gebildet, sie sollen die Gaeste nachfragen, ob die Gaeste Staebchen brauchen. Wenn meine Kassenberater zufaellig Sie nicht fragt, waere es sehr schoen, wenn Sie freundlicherweise das aeussern, ob Sie Staebchen brauchen oder nicht."

Ich finde es ist furchtbar. Es soll Harassment von Gaeste gegen Geschaeft genannt werden. Ich vermute, wenn der Geschaeftsleiter in Sued-Deutschland waere, schreibt er wie unter die Antwort.

"Wenn Sie Staebchen moechten, nehmen Sie das als Ware aus dem Regal. Wir weisen darauf hin, wenn Sie die Beschaeftigung der Mitarbeiter stoeren, fuehrt das polizeiliche Anliegen."






# by walk41 | 2019-02-21 05:58 | Comments(0)

飛行機から投下された爆弾 Fliegerbombe

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Stuttgarter Zeitung 2019.02.18 記事より。

第二次世界対戦時に投下された250kg爆弾が、ニュルンベルクの工事現場で発見された。無力化が不可能と判断されたため、爆破されることとなり、付近の住民およそ6000人が避難、近隣の小学校や体育館も住民の受け入れの準備に追われた。また、上空1000mまでの飛行も禁止された。

幸いに無事、爆発させることができたが、2012年8月にはミュンヘンで見つかった爆弾はうまく処理が出来ず、建物の全焼、破損という事態を招いたケースもある。

戦後70年以上が経つ現在も、戦争中の禍に巻き込まれかねないとは何ということだろうか。戦争の愚かさをまた感じさせられる事例だろう。



# by walk41 | 2019-02-20 09:21 | ドイツのこと | Comments(0)

バッテラ bateira

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これまた、外来語のことです。大阪などでよく食べられるバッテラ寿司は、その形を指して、オランダ語のbateira から名付けられたと説明にありました。はしけ、小舟を指すそうです。ただし、他の多くの説明では、ポルトガル語に由来と記されています。

検索すると、A Bateira (小舟にて)というレストランがポルトガルにあります。英語では、cutter boat (カッターという日本語になっていますね)、bateiraとcutter、似ているような気もします。

写真は、福井県敦賀市の昆布館。

# by walk41 | 2019-02-19 16:50 | ことばのこと | Comments(0)

Gemeinschaft 再論 wieder um die Bedeutung der Gemeinschaft

ドイツ語のGemeinschaft という言葉、1887年にテンニエスが著した論文により、Gesellschaft(制度や契約によるつながり)と対比されることから、(血縁や信条・情感によるつながりとしての)「共同体」や「運命共同体」と訳されやすいが、現代のドイツ語を見る限り、必ずしもそうは言えないことが分かる。

たとえば、
Gemeinschaftsküche →共同キッチン
Gemeinschaftsdusche→共同シャワー
Gemeinschaftsbad→公衆浴場
Gemeinschaftszimmer→共同部屋
Gemeinschaftsauto→カーシェアリング

これらの最大公約数は、分け合って使うこと、という辺りだろうか。そこでは、人間の間の凝集性、つまり基準やルールが、高いものとは即言えない。共同キッチンで調理されるものは個々の好みに依り、満たすべき共同とは、調理器具の使い方、片付け方、占有時間の制限などに限られる。「みんなが同じものを食べる」や「役割を分担して調理をする」、あるいは「一緒に食事をとる」ことまでを求めるものではない。

こう考えると、「協同的」「協働的」「共同的」な学校や学習といった日本語表現についても、再考すべきことが導ける。児童・生徒それぞれの能力を高めるための教育や学習は、まず個々に応じた内容と方法を出発点とし、これに適うことを前提に「二人以上での関わり」が問われる。だから、仮に協同、協働、共同的な学びとしても、これが即、学級全体や小学校で多用される班を単位にする訳ではない。個々の学習ペースやリズムにより適うのは、どちらかと言えば二人や三人の少人数であり、多くの人数は却って阻害要因になりうる。もっとも、個々の学習だけでは何なので、ときどきは「ご近所づきあい」の集いも設けましょう、ということであれば、自分の学習の進捗を報告しあう、といった場の想定は可能だ。

ところが、共同うんぬんと言えば、「クラスを(あるいは4人を)単位に」、「教員の指示で一斉に始め、終わる」、もっぱら「話し合い活動」というように発想が限られる、偏るのはいったいどうしたことだろうか。これらはまるで「クラスの目標をみんなで達成する」という全体主義の末端として位置づけられているかのようである。すでにわかっているのに先に進めず待たされる、あるいは、自分はまだ達していないのに置いてけぼりにされる、何より、教員主導の「やらされ」「やらせ」が起こる状況を、望ましい姿と認める訳にはいかない。



# by walk41 | 2019-02-17 12:12 | ドイツのこと | Comments(0)

知らなけれど分かる wissen zwar nicht, aber doch verstehen

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ポン酢の瓶に貼られた文言、その指すところは分かりますが、ちゃんと知っているかと問われると臆すること、少なくありません。

水炊とは、鍋のこととは分かりますが、なぜ「湯炊」ではなく「水炊」なのか。

しゃぶしゃぶも馴染んだ言葉ですが、なぜそういうのか、分かりません。

たたきは、カツオのたたきあるいは鶏のたたきとは分かりますが、なぜ「叩き」ではないのか、知りません。

こうした、意味はまあまあ分かるけれど、ちゃんと説明できない状態の言葉がけっこうあるのではないでしょうか。じゃあ、「分かる」そして「できる」あるいは「学ぶ」のは、どう違うのでしょうか。

教育界のお喋りでは、「学ぶ喜び」とか「分かったという瞬間」といった言葉がいきおい飛びがちですが、これらはどういうことを指しているのでしょうか。また、この言葉を用いることの意義はなんでしょうか。

そもそも、ポン酢って、なぜポン酢って言うの? これを説明できなければ、ポン酢のことを知らない、学んでいない、あるいは分からないと言っていいのかしら。



# by walk41 | 2019-02-16 23:16 | ことばのこと | Comments(0)

「どっちでもいい」 „mir ist egal „

南ドイツにて。見知らぬ女性が部屋を訪ねてきた。訊くと、部屋に設置されている温水ヒーター(Heizung)の使用量の検査だという。もうその時点で、彼女は部屋に入り込んでいたが。「そんなことは聞いていないが」と返すと、「(家主から連絡が行っているはずだが)私にはどっちでもいい(Mir ist egal)」と言いながら各部屋を回り、温水ヒーターに付けられているメータを記録していった。ちなみに、土足である。

この「どっちでもいい」や「問題ない(kein Problem)」という台詞を、こうした立場の人間から聞くと、とても違和感を感じる。なぜなら、どっちでもいいかどうか、問題があるかないかを決めるのは、業務やサービスの享受側、受け手にあるという前提に立てば、下卑た言い方になるが「お前が言うな」という気持ちにさせられるからだ。

いささかステレオタイプな表現だが、この点、日本では反対の側、たとえば、約束なしに他者の部屋を訪れた場合、「どっちでもいい」と言って構わないのは、不意に訪問を受けた側だけであって、やってきた方ではない。あるいは、商品を探しにきた客とのやり取りで「問題ない」と言ってよいのは、客ではあっても、店側ではない。

場所は違うが、こんな経験もあった。保養地のホテルで卓球をしようと行ったら先客がいたので、じゃあ待ち時間の間にと、近くに置いてあったエアホッケーをしようとしたら、卓球組の(おそらくドイツ人の)女性がやってきて「その機械はとてもうるさいの。だから、5分間待っていて。あと1ゲームでこっちは終わるから」と言い放ったのだ。あいにく、こちらはすでにコインを投じていたので、賑やかなその機械が作動し始めたのだけれど。

ある葛藤状況を克服するために、(本音はともかくも)自分が詫びて相手の了解を得ようとするか(下手に出るか)、それとも、「問題ない」と自分が判断を下して、いわば一方的に主張することで相手を黙らせようとするか。どちらが正解というものではないだろうが、交渉術、ひいては処世術の違いとして興味深く思う。もちろん、前者のスタイルに馴染んでいる自分は、後者のスタイルに驚かされ、困惑するのだが。

Als kleine Anekdote, habe ich was erfahrt. Am Hotel beim Badurlaub sollten wirauf das Tischtennis etwas warten, weil ein Ehepaar schön dort waren. Anstatt waren wir beinahe „Air Hochey“ Spiel Anlage, dann kam die Frau davon und uns gesagt. „Diese Anlage ist völlig laut. Warten Sie fünf Minuten. Nach einem Spielm werden wir fertig.“ Jedoch hat das Gerät bald angefangen und das hat sie leider irritiert und sie hat uns danach nichts gesagt und gegangen.

Ob man erstens sich entschuldigt und bekommt Akzeptanz der andere, oder erstens behauptet man, was er will und führt (negative) Akzeptanz, bei der Szene der Konflikt zwischen Menschen, gehört Japan-Stil zweifellos zu Vorne. Allerdings kann niemand beurteilen, welcher Stil richtiger ist.





# by walk41 | 2019-02-15 06:14 | ことばのこと | Comments(0)

優れもののビン回収装置

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ドイツでは、ペットボトルがたとえば25セントのデポジットになっているほか、これは日本も同様ですが、ビール瓶にも値をつけて回収を促しています。

その際、ビールケースまるまるでも、ビンを回収できるようになっているのですが、写真のように回収装置がビンをそれぞれ認識し、かつ対象外のビン(ドイツ国内で売られたものではない等)は取り除くように指示を出します。この場合、回収しないビンは赤色で示され、ケース上の位置も正確です。そして、ビンの本数を数え終えると、現金化できるクーポンがプリントアウトされるのです。

こうした仕掛け通じてゴミを減らす試みは、日本も見習うことができるのではないでしょうか。缶ビールの値段のうち、ビール以外に一体いくら私たちは払っているのか、改めて確かめるべきでしょう。


# by walk41 | 2019-02-13 20:57 | ドイツのこと | Comments(0)

男女だけではない nicht nur Männer und Frauen

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ドイツに本社を置くある会社の、利用者に対するアンケート項目の一つです。性別を尋ねる箇所ですが、お分かりになるでしょうか。上から順に、回答者が女性、男性、そして「多様な」のいずれかを選べるようになっているのです。なお、その下の四角には生年を記入します。文字通り、多様な性の存在を踏まえた設定になっていることがわかります。


# by walk41 | 2019-02-11 07:17 | ドイツのこと | Comments(0)

レッテル letter

皆さんはご存知でしたか、レッテルという日本語がオランダ語から来ていることを。

ある人が「レッテル張り」と記しているのを見て、何か懐かしい日本語だなと思い、調べてみると、オランダ語から輸入された外来語で、letter 文字、転じて札、の意味で使われてきたとのこと。同じ意味の、ラベル label という英語が遣われるようになるのは、昭和に入ってから(ということは、おおむね1930年代以降かしら)との説明があります。最初に英語から輸入されていれば「レター」という感じの発音になったかもしれません。面白いですね。

繰り返し話で恐縮ですが、何気なく遣っている言葉の所以や背景を知ることは、歴史、思想、哲学に触れることでもあるでしょう。一つの言葉をきっかけに自分の世界が広がる醍醐味は、相当のものだと改めて感じます。

# by walk41 | 2019-02-10 09:33 | ことばのこと | Comments(0)

衛生観念 Reizwelle der Hygiene

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ドイツの空港の手荷物受取カウンターにて。外国からの便なので、おそらくドイツ在住の人たちでしょう。小さな子どもを床に座らせたり、さらには這っていても止めない保護者の様子に驚かされます。「(汚いから)止めなさい」と抱き上げるのが「日本的」な感覚かと思われるので。

ちょっと飛躍しますが、ドイツの暮らしの一場面と言っていいでしょう、土足で家の中に入っていく様にはいつも閉口です。もちろん、そうはしていないお家もたくさんあるのですが。こうして、小さい頃から色々な免疫ができるという良さもあるのかもしれません。

Das Foto zeigt eine Szene im Flughafen, wo Gepäckausgabe aus Ausländern abgeholt werden soll. Kleines Kind sitzt direkt auf dem Boden und sogar kriechtdort zu sehen ist wahrscheinlich für Japaner ein Schock. Zusätzlich ist das auch eine Überraschung, wenn man ins Wohnzimmer mit der Schule für draußen eintritt. Naja, das wirkt vielleicht besser für Immne System.


# by walk41 | 2019-02-10 04:59 | ドイツのこと | Comments(0)

ベルリンでの強制結婚 Zwangsverheiratung in Berlin

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写真は、https://www.morgenpost.de/bezirke/tempelhof-schoeneberg/article216315637/Bezirk-gedenkt-der-ermordeten-Hatun-Sueruecue.html 20190128付け記事より。殺された女性を追悼する記念碑にて。

グローバル化する社会では、こうしたテーマにも目を向けなければならないのだと教えられる。以下、https://www.morgenpost.de/bezirke/tempelhof-schoeneberg/article216390689/Immer-mehr-Jungen-in-Berlin-werden-zwangsverheiratet.html?utm_medium=Social&utm_source=Facebook&fbclid=IwAR08EnGSmSFOQjw3tSnNkBxuRf4j2McYPt_Jg-x6i9nJS4rIvbUa_Ifx5I8#Echobox=1549557888 の記事にも拠り、紹介する。

14年前の2月、ベルリン市内のバス停のドイツークルドートルコ人女性だったHatun Sürücü が弟に射殺された。逮捕された男は「家族の名誉のため」と語った。「名誉の殺人」である。彼女は16歳でトルコにて強制結婚をさせられ、男の子を出産後、一人で子育てをしたいとベルリンに戻ってきたが、自分で決めた人生を生きることは叶わなかった。

結婚を強いられるケースは決して過去の話ではない。ベルリンでは2017年に570件の強制結婚が明らかとなっており、2013年の460件比べると19パーセント増である。また、2013年のケースの93%は女性だったが、家父長的な家族のもとでの、男性への強制結婚が、2013年の29件から2017年の41件と増加傾向にある。

この背景には、男性がホモセクシャルだった場合があり、家族の名誉のために彼らが望まない結婚を強いるのである。また、ドイツ人女性が家族に入ることを阻むために、家父長的な家族にあっては、両親たちが互いの子どもの結婚を早い時期に決めることも少なくない。彼/彼女がこの結婚を拒むことは、家族から排除されることを意味する。

ベルリン市州政府(社会民主党、左翼党、緑の党の連立政権)は、レズビアン、ホモセクシャル、バイセクシャル、トランスジェンダー、インターセクシャルな人々の安全を保証するための財政支出に合意している。そこで、強制結婚に反対するベルリンの活動メンバーは、男性向けのオンライン相談窓口を設けるよう政府に求めるほか、強制結婚に関するドイツ全体での調査研究、あるいは、2017年に制定された「子どもの名誉のための闘争」法に、強制結婚のケースを含めるべきことを要求している。

14年前に惨劇が起こったこの地区では今年度、他地区での経験を手本にして、教員に手紙が送られた。夏休み後の生徒たちについて、強制結婚に関わる問題が見られないかと注意を喚起するものである。


# by walk41 | 2019-02-08 16:19 | ドイツのこと | Comments(0)

生徒たちによるデモンストレーション

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地球環境を守れと、ベルリンでデモをする生徒たちが報じられています。見出しには、「同様に、ベルギー、オーストラリア、日本、ウガンダでも」とあります。日本語では報道されたのでしょうか。

なお、スウェーデンの生徒、16歳のGreta Thunbergは、15歳にして、生徒にストライキを呼びかけるなど、環境問題に優れて積極的な女性として知られています。https://www.tagesspiegel.de/politik/15-jaehrige-umweltaktivistin-greta-thunberg-ruft-zu-schuelerstreik-gegen-klimawandel-auf/23758172.html など。彼女は、記者とのインタビューで、「私が憎まれているというのは、(注目を浴びているという点で)良い兆候だ」とまで述べています。末恐るべし、新しい世代の活躍も楽しみです。



# by walk41 | 2019-02-07 22:39 | ドイツのこと | Comments(0)

国家管理なしの社会保障 Sozialsicherung ohne Staatskontrolle

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日本でも報じられたが、ドイツのLCC航空会社、Germania が倒産を発表、突然の運行打ち切りとなった。同日以来、同会社の飛行機はまったく飛んでいない。年間 400万人を運んでいたGermania 航空を使った旅行を予定していた人はもちろん、すでに旅先にいて復路をつもりしていた人は数万人、またパイロットほか被雇用者は1000人に及ぶ。大きな社会的ダメージである。

くわえてドイツ連邦政府は、同社の倒産を経済競争の結果だとして、公的支援を否定。パッケージ旅行の人は各旅行会社が代替措置を講じるとともに、個人で飛行機を予約していた人は法律の規定に従い、何の補償もされない旨が報じられた。

これに対して、ルフトハンザ航空やその姉妹会社であるEurowings、あるいはCondorやEasyjetといったドイツに本社を置く各航空会社は、ドイツへの復路を予定していた人たちに対して「特別の状況」ゆえに、ドイツ国内へは50ユーロ、近隣の東欧諸国へは200ユーロという廉価なチケットを提供することを決めた。Germania 航空のチケットが紙くずになった人にとっては、この上ない朗報だろう。

かつて、市場経済は敗者を必然的に生み出し社会を混乱させると批判が起こり、国家による管理(社会主義)の必要が叫ばれて、現在では大なり小なり多くの国家が管理的役割を担っている。けれどもその一方で、国家が関与しない事態に、同業者が目先の利益を度外視して、社会保障の方向に協力して行動することがあるという例を、今回見ることができる。

大きな企業体が色々な分野に存在するこんにち、その社会的参加とコントロールあるいはマネジメントが、いっそう注目されるべきことを学んだ。もちろん、学校教育もこれに該当する。公教育経営という言葉で学校教育を考える意義はさらに大きいと、独り合点したことだ。



# by walk41 | 2019-02-07 00:39 | ドイツのこと | Comments(0)

略記 Abkürzung

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スペイン国内のお店でのガイドです。「E」はスペイン語español の略記、日本語話者が馴染んでいる英語English の略記は「E 」でなく、「UK」と英国United Kingdam で示されています。ところ変われば、略記も異なることがわかります。

そういえば、今度なぜか元号が変わるということですが、昭和を示す「S」、大正を「T」、平成を「H」と略記する教育委員会経験を持つ教員がいました。行政用語としてこう記すのでしょうが、わかりにくいこと、この上ありません。

本題から外れますが、仮にShouwa などと書かれても、いずれ分からなくなるのは同じです。例えば、明治2年から平成31年は何年間かと尋ねられて、即答できる人が今どれだけいるでしょうか。「目標を見据えた合理的な仕事を追求しよう」と掛け声を発するならば、元号表記はまさに無用の長物。即刻、博物館入りさせるべきです。







# by walk41 | 2019-02-06 00:23 | ことばのこと | Comments(0)

バナナの木 Bananenbaum

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長く生きてきたはずなのに、常春の島で生まれて初めて見ました。バナナの木です。店頭で見るものと違って、緑に近い色、突き上げるような格好で実がなっていることにも、驚かされます。じゃあ、下になる果軸に近い方がより甘いのかしら、などと思ったりもします。

# by walk41 | 2019-02-05 20:23 | Comments(0)

障碍者の社会参加 Tailhabe der Behinderte

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土産物屋さんに並べられていた、地域の風景を描いた陶板です。見ると、障碍者による、地方政府に認められた質の高い作品とあります。ここでも、障碍者の社会参加を促す取り組みがあるのだと知らされました。カナリア諸島のテネリフェ島にて。

Im Insel Teferiffa sieht man kleine Keramik beim Souveniorshop, die von Behinderte hergestellt und von Landesregierung anerkannt ist. Damit versteht man, hier auch wird die Teilhabe der Behinderte in die Gesellschaft gefordert.

# by walk41 | 2019-02-05 03:17 | Comments(0)

郵便ポスト Pfosten

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郵便ポストは切手と並んで、国家の象徴でもあります。郵便ポストを見れば、ここがどの国家に属するのかがわかりますから。

ここは、スペインの首都マドリードから南西に、飛行機で3時間以上離れたカナリア諸島。北アフリカのモロッコまで100kmほどのところですが、スペイン領となって久しく、スペインの黄色ポストと“correo“(郵便物)というスペイン語があちこちに見られます。

スペインの東のバルセロナからは、大西洋を挟んでカナリア諸島まで約2500km。それでも同じ国家ですから、とても不思議なことです。

Pfoten ist wie Briefmarke ein Symbol des Staates. Mit dem Pfoten kann man wissen, welchem Staat hier gehört. Kanarische Inseln sind zwar von z.B. Barcelona ca. 2500 Kirometer entfernt, aber sie gehören auch Spanien. Das ist wirklich interessant.

# by walk41 | 2019-02-05 01:54 | Comments(0)

訃報もさまざま Todesanzeige

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オーストリアの地方紙に掲載された訃報です。いずれもカラー写真で笑っていらっしゃるものが少なくありません。

私の経験が乏しいためかもしれませんが、日本では新聞での訃報は写真なしか、あってもたいていは白黒、しかも笑っているわけではないものが多いように思うのですが、いかがでしょうか。

Diese Todesanzeigen, die in der Zeitung in Östereich sind gefärbte Fotos und viele mitLachen. Ich finde sie in Japan normalerweise sind keine Fotos, oder wenn es gäbe Weis-Schwarz und wenig mit Lachen.

# by walk41 | 2019-02-04 02:36 | ドイツのこと | Comments(0)

残酷さ Grausamkeit

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スイスの地方紙に載った写真です。ベネズエラでの社会問題、失業ー貧困ー犯罪の連鎖を述べる記事中ですが、むごたらしく殺された人が明瞭に写っています。日本の新聞でこうした写真は、おそらく掲載しないのではないでしょうか。

何となくかもしれないけれど、社会ごとに見られる、残酷さの基準のようなものがあるのだなと改めて思わされます。


# by walk41 | 2019-02-03 06:26 | ドイツのこと | Comments(0)

世界規模で学ぶ globales Lernen

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お世話になっている大学の授業にて紹介された大きなカレンダー、開発教育情報センター(Das EPiZ - Entwicklungspädagogisches Informationszentrum )が作成したもので、片面が世界地図を南北逆さまにしたものになっています。

日本地図での同じ試みを見たことがありますが、世界地図では初めてのことで、とても印象的でした。「世界規模で考える必要」とは言いますが、自分の視線を変えるには、まさに違うメガネを掛ける、世界認識を変えることが不可欠と思った次第です。

Im Seminar in der Hochschule, wurde dieser Kalendar, der von EPiZ vergestellt ist vorgestellt. Dieser Atlas, der umgekehrt gezeichnet als sog. Normaler ist, soll sehr für das globales Lernen, genauso im Sinn mit anderer Brille zu tragen, wirken.




# by walk41 | 2019-02-02 15:19 | ドイツのこと | Comments(0)

宅配便 Zustellung

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もう驚くこともありませんが、郵便局とは別の宅配便、DPDの乱暴な配達ぶりにも閉口させられます。

メールで配達状況を知らせてくれるのはいいのですが、「配達済み」とメールが届いたものの、荷物を受け取っていないので、「ああまたか」と共用の階段を覗きに行くと、案の定、隅の方に小包が置いてありました。インタフォンを鳴らすこともなく、もちろん受け取りのサインもしていません。これで配達完了なのです。

しかも、写真のような半分、壊れたような段ボール箱。「送り主の心を届ける」など無縁の様子が伺えます。2020年オリンピック誘致の際に、日本側が宣伝した「おもてなし」が懐かしいことです。

Das Foto zeigt eine Packung, die von DPD gestellt war. Wie immer kommt zwar die Nachricht „zugestellt „ per eMail zu uns, aber wir haben die Packung nicht bekommen und sogar ist der Klingel eigentlich nicht gekommen. Dann erst sind wir unten, zur Treppe gegangen und sie an der Ecke dort gefunden, die tatsächlich halb zerstört ist.

In der Werbung von Japan für die 2020 Olympiade, ist ein Wort „Omotenashi (Hospitality) „ bei der Rede vorgestellt. Sicher fühlen wir uns jetzt Heimweh über Japan.

# by walk41 | 2019-02-01 01:00 | ドイツのこと | Comments(0)

なんという暴論 unglaublich!

いじめ放置した教員は「懲戒」…改正法案提出へ

1/26(土) 17:24配信

読売新聞

 いじめを放置した教職員を懲戒処分の対象とすると明記した議員立法「いじめ防止対策推進法改正案」が、28日召集の通常国会に提出される。与野党の賛成多数で可決、成立する見通しだ。

 改正案は、自民、公明、立憲民主、共産各党など超党派による「いじめ防止対策推進法に関する勉強会」(座長=馳浩・元文部科学相)が近く取りまとめる。いじめ防止の強化、徹底が最大の狙いだ。

 条文の素案では、いじめ防止対策を「学習指導等と等しく重要な事務」と明記。いじめ防止を教職員の義務と位置付けた。現行でも、いじめをめぐり教職員の悪質な対応があれば、教育委員会などが認定し、地方公務員法に基づき処分している。いじめの放置や助長などが処分対象になると明示することで、「いじめ問題に関心が薄いケースが多い」との指摘もある教職員の意識改革を促す狙いがある。

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詳細がわからないけれど、この記事の限り、なんと乱暴な話かと思う。①「いじめ」認否をいじめを受けた側に委ねる一方、②児童・生徒を四六時中管理することができずに、③「放置」「悪質な対応」など定義が難しいこと、を法律にするなど。

この図式を、いま流行りのカスタマーハラスメントに当てはまると、客が他の客から嫌な思いをさせられたと思い、この状態を放置したら、従業員や店側が処分されるということか。

こんなことがおかしい、と思わなくなっているほど、国会議員の「学力」は低下しているのだろうか。「いじめ」は決して推奨されるべきことではない。けれど、クラスやその他集団の「公共の福祉」のためにある人が忌避される、さらには攻撃されることは残念ながらありうる。

たとえば、家庭事情からか臭いがする、服装も汚い子がいる。あるいは、なぜかわからないが、決めた約束を守らない子がいる。また、ウソを意図的に流す子も、悲しいことではあるがありうる。その結果、こうした人物を周りのみんなが避ける、これは、被害少なく生きるための知恵、「生きる力」の発揮である。

これに対して、自分は「いじめられた」と訴えが起こる。ここで教員や学校はどうすればいいのか。「嫌かもしれないけれど、クラスの仲間なんだから、仲良くしなさい」などと言おうものなら、言われた側が教員にいじめられる構図になる、教員が加害者になってしまうなど、まったく愚かなことである。

「いじめは絶対にいけない」という思慮の足りない、ナイーブな正義の発現が、最前線にいる教員、学校、教育委員会を困らせる。これこそ理不尽な「いじめ」ではないだろうか。


# by walk41 | 2019-01-31 00:45 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

危機的な実科学校 Realschulen in Not

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「悲惨なドイツの教育」という雑誌の特集が組まれたことを、随分と以前に記したが、「溢れる課題の生徒、過重負担の教員」と題した上の記事も衝撃的である。

実科学校は5〜10年制の中等学校で、同教育修了資格を得たのち、ギムナジウム上級段階を経て大学進学も可能である。同記事では、2016年に発表された新しい学習指導要領のもと、この学校種が困難に陥っている様子を、次の点から示している。

①生徒の変化は望ましくない方向に向かっており、依存心が高い、目が離せない、乱暴で教員に対する敬意に欠けるケースが見られる。休み時間、他の生徒を殴った生徒に教員が「止めなさい」と言うと「止めないよ。俺の名前を知っとけよ。俺はHakan(トルコ系の名前)だ。」といった具合である。こうした生徒たちは、教科を学ぶ準備がまだできておらず、まずは社会的振る舞い(Sozialverhalten)を身につけなければならない。また、保護者の中にはドイツ語が通じない、学校にお任せの態度を取る、保護者面談ができるだけで幸運、といった事態も生じている。

②基礎学校4年生時に行われる、「中等学校に関する基礎学校による推薦」(Grundschulempfehlung)が、制度改変によって拘束力を失ったため、実科学校にふさわしい生徒は全体の54.9%に過ぎない。残る34%は学力が低位な基幹学校あるいは職業実科学校を、7.6%がギムナジウムを、そして3.5%が特別支援への進学を推薦されるべき生徒が、実科学校に在籍している。つまり、基礎学校による成績評価では、実科学校に来るべきではない生徒が三分の一以上を占める。

③オリエンテーション期間として新たに設定されるようになった5〜6年生の2年間は、実科学校レベル(中間レベル)に即して授業が行われるため、低位な学力の生徒には効果的とは言い難い。生徒が到達すべき学力が、基礎レベル、中間レベル、上位レベルの三種類に分けられているこの州において、基礎レベルの生徒にも対応できるように生徒の分化がなされるのは、7年生になってからである。これでは遅すぎるという見方がある。

④こうした大きく変わった、中でも生徒が変わった実科学校において、クラスあたり25人の生徒は多すぎるというのが、教育科学組合(GEW)の立場である。スクールソーシャルワーカーは十分ではなく、「多様な生徒とどう向き合うか」という研修はすぐに定員に達してしまい参加できない、“Poolstunde“(学校裁量の時間、週あたり1時間程度で、学級担任に委ねられる場合もある)は改善策だが、教員がその時間を確保できなければ十分な仕組みとは言えない、と。

⑤教員の病気罹患率はこれまでになく高く、代替の授業も日常的な現在、教員ほかより多くの資源が必要である。記事はこう締めくくっている。「ある女性校長は言う。学校のレベルが下がることに注意しなければ。ここが実科学校であるために、そしてこれからもそうあるために私は戦っている。それが私たちの仕事だ、と。この一方で、匿名を条件に取材に応じてくれた2人の実科学校教員は言った。この年代の生徒が労働市場に出る時期に、最初の一撃が来ることだろう。それは次の年度の終わりかもしれない。」

中等教育段階での、生徒の変化、多様性や学習意欲、学校としての水準と学力保障、保護者との関係、学校裁量など、日本に引きつけて考えると、どんなことが見えてくるだろうか。






# by walk41 | 2019-01-30 18:29 | ドイツのこと | Comments(0)

時間的にゆとりのある暮らし Leben mit viel Zeit

時間的な意味で「ゆとりのある暮らし」と聞いてどんなイメージを持たれるだろうか。「のんびり過ごすさま」を思い浮かべられたなら、これは「余裕のある暮らし」とも言えるだろう。

似たようなことを以前にも記したが、この地、南ドイツに多様な人々が暮らしているからなのか、なんとなくの基準がそうだからなのかはわからないが、物事を一つ進めるのに予想以上の時間、つまりは手間暇がかかるために、余裕のある暮らしを強いられざるを得ない。言い換えれば、余裕なく予定を次々とつもりしていても、なかなかそのとおりにはコトが進まないので、「余裕のない暮らし」をしようとするのは、いわば自殺行為になる。

例えば、一日に複数の約束を取り付けるとする。けれども、鉄道が遅れて予定時間に目的地に着かないのは当たり前だし、なぜかレジスターが不調で会計を終えられず、店を出られなかったりもする。もちろん、店に行ったら突然の休業日ということもある。あるいは、約束をしていた人が土壇場でキャンセルすることもある。

こうした、南ドイツに住む人々(もちろん、ドイツ人とは限らない)やそこでの暮らしぶりを垣間見るに、「余裕のある暮らし」は望んでそうなっているというよりも、そうならざるを得ないことがわかる。返せば、「ゆとりのない暮らし」が可能なのは、予定通りにやってくる電車やバス、あるべきところに置かれている商品、時間を基本的に守る人々といった条件が整っているからである。

だから、いささか皮肉なことではあるけれど、「ゆとりのある暮らし」を望むのならば、ゆとりを要する社会の仕組みや人々の心性を育むことである。「そんなにたくさん予定を入れても、どうせ全部はうまくできないからね」とみんなが了解することである。

この方向を取らずに、「決めたとおりに実行しよう」とか「より良くできるようにどんな工夫ができるだろうか」とPDCA サイクルやカイゼンを強調すると、「ゆとりのない暮らし」が可能になる。この点で、私たちは果たして「ゆとりのある暮らし」をどれほど望んでいるのだろうか、と尋ねることもできるだろう。

# by walk41 | 2019-01-29 02:52 | ドイツのこと | Comments(0)

外が好き er mag draußen

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小雪が舞い、ベンチにはすでに積もり始めているにもかかわらず、外に座っている人がいます。タバコを吸うためでもあるのでしょうが、この寒空になぜ、と思わざるを得ません。

大学でも授業の間、学生が大きく窓を開けていたりします。とても寒くなるのですが、新鮮な空気を求める方が強いのでしょうね。

Trotz es schneit, setzen sie draußen auf der Bank. Wegen des Rauches zwar, aber ich verstehe nicht das in dieser Kälte.

Auch in der Hochschule, machen Studentinnen mitunter das Fenster klar auf. Es wird einmal sehr kalt, jedoch möchten sie lieber frische Luft.

# by walk41 | 2019-01-29 00:24 | ドイツのこと | Comments(0)

ゲマインシャフトの意味 Bedeutung der Gemeinschaft

友人のクルマに乗っている最中、“Dorfgemeinschaftshaus“ という標識を見た。「村のゲマインシャフトハウス」である。彼が住む人口数万人の市街には、こうした施設はないと聞いたが、ゲマインシャフト意味を考える好材料だと思った。

つまり、これを即、共同体と見なしてしまうと乱暴だろう。上の標識は、村の住人が集う場所、いわゆるコミュニティセンターと解していいだろうから。「共同利用」の施設と見るのが妥当ではないだろうか。

同じように、社会的と社会主義的、の区分も難しい。共通するところもあるだろうから。ドイツ語でも、社会的(sozial)という言葉はあまねくつかわれており、“Sozialwohnung“(低所得者用の住居)、“Sozialengagement“(いわゆる恵まれない人たちのための活動)とある。

いずれも、わかったつもりにならないで、言葉を丁寧に考える癖をつけたいと思う。

# by walk41 | 2019-01-27 21:57 | ことばのこと | Comments(0)

目立つ auffällig

読売新聞のHP中「発言小町」の一つに、これからドイツに留学するのだが「ゆるふわ系」の服を着ていると彼の地で目立つだろうか、との問いかけがある。https://komachi.yomiuri.co.jp/t/2019/0123/883880.htm?g=01

色々なアドバイスがあるが、「日本でこれは目立つでしょうか」という問いがあまり意味を持たないように、都市部か田舎か、夏か冬か、昼か夜か、社会的地位や階層はどうかと、その基準は変わりうるから、一概には言えない。ただし、「目立つ」ことが自分と人々の眼差しの投影だと見るならば、おそらくドイツという地域では、どんな格好をしていても「あまり目立たない」と言えるだろう。

つまり、目立つことを、①「周りを見渡して、自分が違和感を持たれているのではないかと感じる」という自分の自身への眼差しと、②「ある人に対して違和感を感じる」という他者の眼差しを指すとすれば、①については「どう思われるか」を気にする度合いは低いだろう(「他者にどう思われるかを気にしない能力」が高い)。また、②については、当たり前に色々な人がいるので、自分と違うことに対する閾値が高いと思われる(「自分と違っていることを気にしない能力」が高い)。つまり、自他ともに「気にしない」能力が高いので、その結果「目立つ」ことは少ないと帰結できる。

学生にもよく話すことだが、事実は山のようにあるのに、そこに眼差しが向けられなければ認識されることはない(「人のいない森では、木が倒れても音は聞こえない」)。そして、眼差しは優れて社会的に成立しており、客観的なレンズのように現実を切り取る訳でもない。

たとえば、日本に長く住んだ人は、ドイツ在住の人をそれなりの数、見なければ、個人を見分けることは極めて難しい。生活の中で馴染むことでようやく個体識別できるようになってくることは、いつでも「顔を見ればわかる」訳ではないことを示している。これらの整理の上に、どのような問題が成立するかが整理されるべきだろう。

「目立つ」も同じである。違いに敏感であれば目立つだろうが、そうでなければ目立ちようもない。より客観的に問題が存在するのか、それとも、より主観的な問題として扱われるべきなのか、中身に入る前に問われるゆえんである。


# by walk41 | 2019-01-26 22:06 | ドイツのこと | Comments(0)



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