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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:身体( 333 )

たとえば、外国体験 z.B. Erfahren der Auslandsreise

ある小学校にうかがった。教室の後ろには、夏休みの絵日記が、子どもひとりあたり一枚づつ張られている。

海水浴に行ったことやサーカスを観たことなど、ありそうだなと思われる絵日記もあるが、驚かされたのは、外国旅行のことを記していた児童が31人中、4人いたことだ。それらは、イギリス、チェコ、オーストラリア、さらにはネパールだったが、大人になってもなかなか行かない所を含めて、僅か12歳で経験している子どもがいるのかと、いかにグローバル化とはいえ、びっくりさせられた。

中学校の修学旅行で、二つの学校が飛行機の貸し切り乗り合いとなったが、片方の中学生からは離陸、着陸のいずれも拍手が起きたのに対して、もう片方の中学生からは何も起こらなかったというシーンに遭遇したことがある。前者の中学生の多くは、飛行機の経験が初めてであり、後者は初めての生徒こそが珍しい状況だったのだろう。

こうして、学校とは別のところで、経験のある無しが分かれ、学校文化との親和性の如何を含めて、子どもが分化していく。こうした時系列の上に学校生活が成り立っていることの不思議さを、改めて思わされる。

by walk41 | 2019-09-04 15:12 | 身体 | Comments(0)

学力の剥落 Absturz der Kompetenz

みなさんに当てはまるかどうかわからないけれど、私について言えば、漢字を読めることと書けることとの乖離が著しい。

先日も授業で「清潔」と板書しようとしたのだが、「潔」の右側が覚束なく、書くのを止めてしまった。学生には、「漢字を忘れてしまったので書かないけれど、cleanliness のことね」と弁明する始末である。ああ、学力のはがれ落ちである。

「使わなくなったところは衰える」ということなのだろうけれど、字を書かず、もっぱらキーボードを打つ生活になると、さもありなんということか。これから求められる学力も変わってくるのではないだろうか。

by walk41 | 2019-07-05 11:31 | 身体 | Comments(0)

恥の文化 Kultur des Schames

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1972年1月、太平洋戦争終結から四半世紀以上も経って、グアム島で発見された元陸軍兵士、横井庄一さん、帰国の第一声は「恥ずかしながら、生きて帰ってまいりました。」

「大王の辺にこそ死なめ」と大伴家持の歌を引いて、戦死を美化し、生きて帰ることを恥と教えた(おそらく日本ゆえの)軍の恐ろしさを改めて感じる。

名古屋市博物館にて。

by walk41 | 2019-06-08 14:02 | 身体 | Comments(0)

かわいい文化 Kultur „hübsch“

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知りませんでした。この春から、ハローキティ環状線プロジェクトというものが始まっていたことを。

大阪駅の表示も写真のよう。日本の文化の一つに、「かわいい」がしっかりと根付いていることを示しているように思います。



by walk41 | 2019-05-29 14:01 | 身体 | Comments(0)

暴力的であることを期待される男性教員? gewalttaetiger maenner Lehrer?

高知県教育委員会による児童・生徒に対する調査で、2017年11月から1年間の間に、体罰など教諭による不適切な指導、84件が認定されたと報じられた。それらは、叩く、蹴るといった「有形力の行使」、暴言による児童・生徒の「尊厳を損なう行為」などという。(読売新聞、20190524)。

児童・生徒に尋ねる前にどれだけ明らかだったのかは不明だが、子どもに訊くことで明るみに出た事案もきっとあることだろう。57166人にたずねてこの件数とは、約0.146%、700人に一人の子どもが、教諭による暴言・暴行を認知していることになる。

アイリス・マリオン・ヤング(Iris Marion Young)は、On Female Body Experience: "Throwing Like a Girl" and Other Essays, (Oxford University Press, 2005)にて、女性が主体的に活動するというよりも、見られる立場を期待されている可能性があると、マーゴ・デメッロ, 田中洋美 (監修, 翻訳)『ボディ・スタディーズ―性、人種、階級、エイジング、健康/病の身体学への招待』(晃洋書房、2017)で取り上げられている。仮にこの理解を受けるならば、男性はより主体的、活動的であるべきという期待を背負い、役割演技をしていることになる。

教育と異なって学習は、静的で非連続なものである。自分ですら気づかず、また行きつ戻りつする非線形なものである。だとするならば、動的で連続する、明示的でサイクルを描くことを想定した教育イメージは、男性的である。この立場から見れば、不確かでまどろっこしい学習は不快さの遠因になるだろう。そこには、教育課程の設定や「学力競争」に煽られているという背景もあるだろうが、最前線の男性的教員は、昨今の「主体的・対話的で深い学び」と親和性が低いという可能性を導ける。

ちなみに、乱暴な比較だが、「わいせつ等行為」により懲戒処分を受けた教員は、全国規模で見ればおよそ0.02%、5000人に一人だから、上の数値の約7分の1に相当する。もっとも、「わいせつ等行為」の約98%は男性によるものであり、仮に上記の「不適切な指導」も男性がより多く該当するとすれば、男性教員による問題状況の発生率は高くなる。男性的であることが持ちうる暴力性について考えてみたい。

by walk41 | 2019-05-24 16:09 | 身体 | Comments(0)

自問できる力 Macht, die man ueber sich fragen kann

東洋英和女学院院長だった深井智朗による研究不正事件は衝撃的である。なぜなら、①他者の研究を引用しているのにそのことを示さず、あたかも自分の文章かのように書くこと(盗作)にとどまらず、②実在しない人物およびその人物が記したという論文を作り上げ、同論文を引く格好で議論を展開しているという、実に込み入った捏造を行い、③疑義に対して誠実に対応せず、紙幅の制約上、注を削らざるを得なかった、人物名の綴りを誤ったなどと嘘を重ねたのみならず、研究不正と認められて懲戒解雇になってなお、「今回の調査結果については、真摯に受けとめ、速やかに必要な訂正や修正を行いたいと思います。」(2019.5.10)と捏造を認めたとはとても思われないコメントを出している。悪い意味で弩級の事案だろう。

関連するニュースをインターネットで探していたら、楓園(ふうえん)と題する同学院の学院報を見つけた。その85(2018.1.31)の「特集1」は、「深井智朗 院長就任」である(http://www.toyoeiwa.ac.jp/publications/pdf/fuen85.pdf)。

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院長就任に際しての挨拶の中で、私が注目したいのは、次の箇所だ。(「創設者から前院長に至る先人について-榊原補足)先生方の豊かな才能のすべてを捧げてこの学院に仕え、指導してこられました。しかし先生方はみな誰よりも謙虚で、献身的で、この学院とそこで学ぶ者、働く者に仕えてこられました。まさに神を愛し、隣人に仕えてこられたのです。私はこの職に就くにあたり、この精神を先生方から受け継ぎ、学院とここで学ぶ者、働く者のすべてに仕える者となり、「喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ」者となることを神の前で約束したいと思います。」(p.2)

被告発者は自分のことを、仕える資格を持っているのだろうか、ともに喜び、悲しむことができるのか、と自問しなかったのだろうか。

この人物云々ではなく、人間というものを理解するのは容易ではないということを痛感させられる。そして、私自身が自問できるようにありたい、そうできる自分でいたい、と強く願う。


by walk41 | 2019-05-11 20:24 | 身体 | Comments(0)

知らないうちに作られる記憶 Gedächtnis, das ohne Absicht gemacht wird

人間の知覚と認知の不確かさに、いま関心を持っている。

アメリカのテレビドラマ、「ER 緊急救命室」のシーズン5、エピソード20(1999年)を観ていたら、次のセリフに出合った。

街が夜に停電、病院も電力を失う中、患者が何者かに襲われる。不審な男を見たという女性医師エリザベスが話すシーンだ。

「見かけた男をよく覚えてない。中肉中背でー、浅黒いのでラテン系か中東系か、なまりはなくて」そして次のセリフである。

「でも役に立ちたい一心で記憶を作っているのかも」(I’m just afraid that what I do remember I’m making up)

いかがだろうか。彼女は、思い出そうと頑張ることで、事実としてはなかったかもしれない事柄をそうだったのだと作り上げてしまう可能性に対して自覚的である。思い出せるはずだからと自分の頭の中から引き出される記憶が、本当のことではないかもしれないという危険性を踏まえている。

不審な男を彼女が見たのは、數十分前のこと。ほんの少し前のことなのに、間違いのない記憶を持っているわけではない、そして懸命になることでそう思ってしまいがちということに着目している、この作品の脚本の思慮深さを見る。

「見たんやから、間違いないって」と言った話が、ひょっとして本人の知らないうちに願望や思い込みを通じて作られたものであるかもしれないということ、「教育労働における記憶と記録」というテーマが立てられるのではないだろうか。



by walk41 | 2019-05-09 06:58 | 身体 | Comments(0)

繰り返しが記憶を強化する Wiederholen macht Gedächtnis stärker

授業の本題からはいささか外れるものだったが、前回の授業で重要なことを感想に書いてくれた学生がいたので、関連する資料を引いて、今回説明を試みた。

それは、記憶に関するもので、人は思うほど正確に記憶している訳ではないという調査研究を紹介しながら、教員の職務を鑑みるに、瞬間的な状況認識と意思決定、行為を連続して行っている教員の働き方にも示唆的ではないかと話したのだ。

すなわち、状況認識は過去の経験に照らして行われがちである。なぜなら、似たような経験がなければ、いったいこれはどういうことなのかの判断ができず、困惑してしまうからであり、これを避けるために、認識の短絡化(近道、shortcut)の手段として、過去の類似した経験を引き出す可能性が考えられるからだ。

たとえば、身体言語などはその一例だろう。ドイツの友人が日本のホームセンターの駐車場で手招きする警備員の様子を見て、「こっちに来るな。あっちに行け」の手振りかと思ったら、実はその反対だったというのは、指の動かし方とその意味が日本の通常と逆だからである(日本では、あっちへ行けの場合、手の甲から向こうに強く指を突き出すか、両手を使って×をつくる)。ゆっくり考える時間があるならば、判断する際の選択肢も広がるが、クルマを進めるか戻すかは、すぐに決めなければならないことが多いから、いきおい過去の経験を参照する。

同様のことは、教員の様子についても説明できるだろう。学生の感想にこうあった。「よく学校の先生が「前、言ったやろ」と言っていた。そう言われるたびに、怒り方が強くなっている様子に、小学校ときに感じていた。「そうだったっけ」と言い出せない空気を生み出す言葉だと感じた。」「言うことが日替わりでコロコロ変わっていた教員がいて、その先生に対する信頼を失った経験がある。」これは、教員が自分の記憶に自信を持っており、それを疑うことなく、児童の至らなさを叱責する様である。経験がもたらす負の側面-勘違い、思い込み、決めつけが、いたずらに学校を荒らしてしまう。経験を参照する機会が増えるほど、それは記憶として強化される、というモデルで考えるならば、「何回言ったらわかるんだ」も危ない物言いである。

繰り返すことで記憶が強化され、本当はどうだったのかがわからなくなる危険性を考えるとき、次の学生の指摘は鋭いと関心させられた。「教員は自分に自信を持ちすぎているから、あたかも自分の記憶は完璧であると思いがち。中学・高校では、教科担任制だから、他のクラスで言っていたことも、すべてのクラスに行っていたと思ってしまうのであろう。」この指摘、みなさんはいかが思われるだろうか。

by walk41 | 2019-05-07 15:39 | 身体 | Comments(0)

大変なラマダン muhlsam Ramadan

今年2019年は、5月5日から6月4日まで、イスラム教徒の断食、ラマダンが行われる。太陽が昇って沈むまでの間、食べ物と飲み物を口にしないというものだ。唾ですら飲み込んではいけないのだとか。厳しいなあ。もっとも例外は認められており、高齢者、妊婦、病人、旅行者、子どもなどが該当するが、学校に通う子どももラマダンをしていることが珍しくない。

さて、ドイツの教員向けニュースページ https://www.news4teachers.de/2019/04/ramadan-kinderaerzte-und-kinderschutzbund-warnen-vor-gesundheitsrisiken-fuer-schueler/ では、子ども保護の団体が教員向けの手引き書を発行。ラマダンへの対応について指南している。

教員に対しても手引き書

教員、その他教育職員、医師そして保護者に対して、ラマダンの健康上の危険性を示し、それぞれの責任を果たす上で知っておかなければならないこととして、子ども保護団体はこのテーマの手引き書を作成した。「とても重要なことは、関係者すべてがよいコミュニケーション関係をつくり、互いに理解することです」と団体の代表メンバー。「私たちの目的は、ラマダンに参加したい子どもたちが年齢にふさわしく、健康を害することなく行えることです。子どもの幸福と健康な成長が最終的にはもっとも重要なのですから。」子ども保護団体は手引き書で具体的にこう述べる。保護者は子どもや青年のラマダンの期間中、教員やその他教育者に、自分の子どもがラマダンであることを知らせるようにとアドバイスする。また反対に、子どもに健康上の問題が見つかった際には保護者が学校や学童保育所、スポーツ団体から知らされるべきとも述べている。このような場合、保護者と子どもは一緒に子どもの権利に即した解決方法を探すことが大事と、子ども保護団体は勧めている。たとえば、週末だけ、あるいは週の1日だけ断食をする、たとえば土曜日、あるいは数時間だけといったことが考えられると。


こんなニュースだけれど、とても興味深い。なぜって「リスクマネジメントとして、危険因子を取り除こう」とはなっていないからだ。宗教や家庭の考えを尊重した上で、なるべく危険なことを避けましょうという「大人の発想」を見る。諦めること、割り切ることの大切さが伝わる。みなさんはどう思われるだろうか。


以下、原文。

Handreichung (auch) für Lehrerinnen undLehrer

Um Lehrkräfte und andere pädagogischeFachkräfte, Ärztinnen und Ärzte, aber auch Eltern auf die gesundheitlichenRisiken des Fastens hinzuweisen und sie bei der Wahrnehmung ihrer Verantwortungzu unterstützen, hat der Kinderschutzbund eine Handreichung zum Themaentwickelt. „Ganz wichtig ist eine gute Kommunikation zwischen allenBeteiligten und gegenseitiges Verständnis“, so Ekin Deligöz, Vorstandsmitgliedim DKSB. „Unser Ziel ist es, dass Kinder, die fasten möchten, diesaltersgerecht und ohne ihre Gesundheit zu schädigen tun. Denn am Ende ist dasWohl des Kindes und sein gesundes Aufwachsen das Wichtigste.“

Im Umgang mit dem Ramadan-Fasten vonKindern und Jugendlichen empfiehlt der Kinderschutzbund konkreteHandlungsschritte. So rät er Eltern, die verantwortlichen Lehrer oder Erzieherdarüber zu informieren, dass ihre Kinder fasten. Andersherum sollten Elterninformiert werden, dass Bildungs- und Betreuungseinrichtungen wie Schulen undHorte oder auch Sportvereine verpflichtet sind, einzugreifen, wenn siegesundheitliche Einschränkungen erkennen. In solchen Fällen sei es sinnvoll,dass Eltern und Kinder gemeinsam nach einer kindgerechten Lösung suchen,empfiehlt der DKSB. Denkbar wäre etwa, dass das Kind nur am Wochenende fastet,oder nur an einem Tag in der Woche, zum Beispiel am Sonnabend, oder auch nur stundenweise.


by walk41 | 2019-05-01 12:42 | 身体 | Comments(3)

日本でも二択を越えつつあり auch in Japan ueberschreitet man mehr als nur zwei Auswahl beim Geschlecht

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ドイツで「3番目の性」が当たり前になりつつあることを以前に述べたけれど、日本でも同じような動きが見られることにちょっと驚いた。

あるWebサイトでの登録ページの画面だが、男性あるいは女性の欄の他に[「その他」があること、また「回答しない」という欄もあることを心強く思った次第だ。

by walk41 | 2019-04-08 23:25 | 身体 | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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