学校・教職員の現在と近未来-榊原禎宏のブログ

カテゴリ:身体( 311 )

一人で行うべき作業

自分で給油するガソリンスタンドで見つけた表示、「給油作業は必ずお一人で行なってください。」

なるほど。ガソリンの給油を分担すると意思疎通や手順の上でヒューマンエラーが起こりうることを懸念してのものだろう。

チーム論が盛んでもあるけれど、ガソリンの給油はそれではだめ、個業的にやる方が合理的ということだね。学校の業務論についても、なんでも協働やチームではなく、業務に応じて区分けする丁寧さが必要だと改めて思わされる。

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by walk41 | 2018-06-19 11:12 | 身体 | Comments(0)

曖昧さの大切さ

朝日新聞20180611、京都精華大学の学長に就いたマリ出身のウスビ・サコさん、「かつては日本でもそうやって暮らしてきたでしょう。それが西洋化して生活が合理的、機能的になり、生活空間づくりも他人に任せるようになった。その結果、暮らしが貧しくなってはいないか。日本人は家の中でも外でも、もっとあいまいな領域を作った方が心豊かに生きられると思います。そのためには、あいまいな空間を自分たちで管理する自主性を育てることが必要になります。」


マリでは、調理道具と食材を持って来たら中庭がキッチンになるという件の話だが、興味深く読んだ。機能としては割り切れないものが生活にはあり、それが豊かさの現れでもあるのではと聴いた。


経営とは合理化の追求でもあり、それは機能重視にも連なる。目標実現のためにこれをする、ムリ・ムラ・ムダをなくすというように、目標への直線的志向を強める発想でもある。けれど、生活とはそれだけで成り立っているわけではなく、当事者もわからない「曖昧さ」をも含み持っていると見れば、一見なんのためかわからないものが実は重要な役割や意味を持っている可能性も考えておかなければならないのではないだろうか。


だから、公教育経営の議論も二正面作戦となる。一つは、その合理化、効率化をめざすものであり、もう一つは、そうした発想を捉え直し批判的に吟味するものである。教育ー学習という究極的には自己体験をいかに公的に組織、管理・運営すべきか、またなしうるか、その問いを持ち続けたいと思う。


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by walk41 | 2018-06-15 17:10 | 身体 | Comments(1)

繰り返し挙手論、そして同義反復

保護者の方から以下のように聴いた。

…小学校6年生の子どもがいるのですが、昨年度、テストはほとんど出来ていたのですが、成績が悪く、本人が納得せず、担任に聞いたところ、挙手が少ないと言われショックを受けました。わかっているかのテストができているのに、手を挙げないからと成績が落ち、担任を嫌がるようになりました。…

これは、学校で言われるところの「平常点」に関わる話だろうと思う。この方の子どもさんがどれほどテストで点を取れていたのかがわからないが、少なくとも、テストとそれ以外の評価比率が納得できないというのは問題ではないかしら。

過日、学校ボランティアに行っている学生の経験話を紹介したが、「みんなで○○」大好き教員に辟易しかねないように、教員の信念、意地悪に言えば思い込みによって、不幸を食らっている子どもが結構いるとすれば、これはリスクマネジメントができていないということにもなる。

最近、こうした思い込みや決めつけが起こる背景に、同義反復(tautology)な物言いがあるのではないかと思うようになった。「他者は他者、自分は自分」「ダメなものはダメ」「やるときはやる」といった、一見威勢はいいけれど、よく考えると何を言っているのかわからない物言いのことである。

こうした言葉遣いは、思考停止を招くように思う。何も論理展開をしていないのに、何かすごいことを言っているかのように思い慣れると、それ以上のことを考えなくなる。疑いを持たず、分析的に物事を見ることができなくなるのでは。

こんな話をある研修でしていたら、中学生の子どもさんがいるという方からこう聴いた。京都市内のこの公立中学校は、毛筆タッチの横断幕に「あかんもんはあかん」と記してあるとのこと。研修後、その学校のHPを見たら、何とこのタイトルそのままの歌まで出来ている。「あかん、あかんもんはあかん」という歌詞である。こんなおよそ上品とは言えない文言を歌にする感性が信じられん。

知性を育てないこんな学校環境に生徒を置くなんて、学力向上論者は何と言うべきだろうか。

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by walk41 | 2018-06-11 15:17 | 身体 | Comments(0)

「全員が手を挙げるように」

学生から聴く。

ボランティアに行っている小学校で、若い教員が担任する高学年のクラス、「全員が手を挙げるように」と大きく書かれたファイルが机上にあるとのこと。実際、授業中に児童の手の挙がり方が少ないと、「みんな、本当にこれだけしかわかってないの?」と、挙手を求める声が教員から飛ぶのだという。そうすると、パラパラと手を挙げる児童も出てくるようだが、それでも、発言するのは3、4人の決まった児童ばかり。それが教員には不満なのか、それ以外の児童を当てたい様子が伝わってくるとも、学生は話していた。

ああ。クラス全員に挙手を求めることの暴力性に気づかず、「何となく、良かれと思って」児童・生徒に強いていることの問題が、ここでも聞かれるとは。なんと悲しいことだろうか。

もっと多くの児童がわかっているはずと思うのならば、手を挙げさせなくても答えてもらえればいい。なのに、形にこだわって「手を挙げる」こと自体に価値を置くから、倒錯したことが起こる。手を挙げたくないのに挙げざるを得ない気まずい雰囲気を作る、手を挙げなければいけない授業が嫌いになる、という具合である。

なお、このクラスには50個ほどの学級目標が記されているとのことで、そのほとんどが「全員で……をする」という形式になっているのだと。そんな目標の立て方をしたら、やりたくない子、できない子はいじめられかねないよ。もともと、何の目的や目標もなく、偶然に集められてできているクラス(学級)なのに、過剰な目標を掲げ、それを過度に強いるような教員の振る舞いは悲劇的である。しかも今回の話は、若い教員とのこと。どれだけ不幸が生み出されることだろうか。

校長、教頭のみなさんにお願い。ご自身の学校の各クラスで、こんな惨状が見られないか、ぜひ点検してください。そして、おかしいなと思われたならば、それ自体を教員研修のお題にして、職員間で議論を組織してほしい。指導案の検討だけが校内研修のテーマではないのだから。

「児童・生徒の全員が挙手して嬉しいのは教員だけ」というある保護者の言葉を思い出す。「全員で…」って教員の自己満足そのものではないのかと問われていると思う。

榊原禎宏・森脇正博・西村府子「教師はなぜ授業中の挙手を好むのか-教師の思惑、子どもの都合」(2013)
https://docs.wixstatic.com/ugd/b7f39f_ce3fb427cfe8414ebf68b0613a4d18f9.pdf も是非、ご覧いただきたい。

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by walk41 | 2018-06-07 16:29 | 身体 | Comments(0)

褒めるという行為

学部生への授業で、感情労働について話をする。

教員は児童・生徒の関心、意欲を促すべく、まずは自身をマネジメントして、全体として明るく、朗らかに振る舞うことが求めら、もって、児童・生徒に望ましいとされる影響を及ぼすことが求められている。つまり、期待される教育労働は、二重の意味で感情的性格を帯びることになる。

こんな説明の流れで、相手への配慮と感情表出との関係、とくにスポーツの場面においてという話をしたあとの学生の感想に次のようなものがあった。「思いやることが大切だが、何でもそうすれば良いというものでもないだろう。負かされてなお、気を使われるのは屈辱だと思う人がいるだろう。武道に励む人には特に多い気がする。」

なるほど。負けただけでも十分に悔しいのに、それを気遣われてはなお恥じると、相手に思わせてしまいかねないことは、果たして思いやりだろうかという問いである。よい着眼だと思う。これを読んで、ずいぶんと昔、このwebページではないところで記したことを思い出した。「褒めるという行為は望ましいことか」と。

褒めるという行為が成立するのは、いわゆる「上から目線」が前提になる。学生が私を指して「先生は、すごいですね」と言うことがあるが、それは感嘆ではあっても、褒め言葉では決してない。学生に褒められるのは、学生に教授する立場と相容れないからだ。つまり、褒めるとは、相手に対して、自分が優位していることを示す所作でもある。それは、「私はあなたを褒めることができる立場にあるんだよ」という宣誓でもある。

ところが、何となく「いいことじゃないの」と思う教員の中には、「褒めると、子どもは喜ぶ」とか「褒めてこそ、子どもは伸びる」といった、ことわざ程度の説明力しかない命題をハナから信じて、そう行為する。「子どものために、いいことをしている」と思っているのだから疑うことが難しいのだ。

ところが、褒める内容よりも褒めるという行為そのものに注目する児童・生徒は、たとえば、小学校高学年以降は「あなたと私って、褒める-褒められる、って関係やったっけ」と思う可能性があり、下手に褒めると「大した奴でもないのに、何を偉そうに褒める格好をとってんねん」と小馬鹿にされるのがオチである。

何かを行為する、メッセージを発するとは、かくも自分を晒すというリスクと背中合わせである。世には「コミュニケーションは重要」と発信することに一呼吸を置かず、両手を挙げるナイーブな人もいるが、それは思慮が足りないと言うべきでだろう。「沈黙は金なり」という諺は、自身のリスクマネジメントの方略としても読むことができる。





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by walk41 | 2018-06-04 12:14 | 身体 | Comments(0)

当たり前を疑うことの大切さ

奈良県警は、奈良、大和郡山市の人身事故が多発していた交差点2か所で、歩行者用信号機が車両用よりも5~6秒早く青色表示するよう改良したところ、人身事故がゼロになった。(読売新聞、20180528)

歩行者用信号を早く青にすることで、クルマが自動車用信号に従って歩道に進入する時には、すでに歩行者が歩き始めており、ドライバーの視野に入りやすいことを狙っての新たな措置、どうしてこのことに気づかなかったのだろうと思う。

あるルールや基準が決められると、それが慣性を持ってしまい、あたかも自然現象かのように生活に馴染んでしまう。ところが、そのルールの根拠をと問われると、よくわからない。何となくそうなのだと返すしかないのだ。

そこで一つ踏ん張って、違うルールを導入すれば、思わぬ効果を得られることがある。これを促すべく、日常という怠惰さを振り払う気力と勇気を持つこと、そのための思考体力が重要だなとまたもや思わされる。

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by walk41 | 2018-05-28 14:25 | 身体 | Comments(0)

女の子の振る舞い

学部生での授業で、学校文化と青年文化の葛藤、対抗文化としての「真面目嫌い」および、それへの同調としての友人関係が、とくに女子に観察されるのではないか、と投げかけた。

聴く限り、多くの学生は学校が好きで教員にも好かれ、かつ友達とも仲良く楽しく過ごしてきたらしい。彼ら/彼女らが、往々にして反学校的な青年文化とが上手く付き合うことができたからこそ、教員になりたいと教育系の大学までやってきているのだなあと、その器用さを少し羨ましくも思った。

学校の価値観をおかしいなと思いつつ、その一方で実にいい加減な教員たちに呆れつつ、「真面目」であることから離れられず、成績の良さや学級委員に選ばれるといった「正統」派を自認するしか生きるすべがなかった。そんな自分の中学校時代を思い出すに、出会う学生のたくましい「生きる力」に驚かされる。

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by walk41 | 2018-05-26 10:32 | 身体 | Comments(0)

女子生徒の振る舞い

授業で学生たちと話す。「授業をどう捉えるか」というお題で、授業が教員(授業者)だけではおよそ制御できないものであるにもかかわらず、仮説-検証、PDCAサイクルといった、あたかも主体は自分だけで、他は対象(物言わぬモノ)かのように語ることそのものを疑わなければならないのでは、という話から、授業中の生徒間のダイナミズム。とくに女子生徒の振る舞いが話題に上った。

女子生徒の中には、自分を賢く見せることが決して賢明ではないという、ジェンダーバイアスが働くために、クールダウンとも言うべき、野心的でないかのような振る舞いが生じるのでは、と問いかけると、ある女子学生曰く、定期試験の前日などに「私、ぜんぜん勉強してないし」とか。試験時間の間の休み時間などに「私、ぜんぜん勉強してないから」と言う同級生がいた。そんなこと絶対にあるわけないのに、と。

なるほど、「自分は頑張っていないアピール」をすることで、ガツガツした感じを抑制するとともに、もし悪い結果に試験が終わったときの落ち込みを抑えるための予防線を張ろうとしたゆえではないか、と聞いた次第だ。後者については、別の女子学生が「保険を掛けるというか」という言葉で補足していたことが、印象的だった。

以上からふたつのことを言えるかな。ひとつは、文化的・社会的際であるジェンダー的な歪み(バイアス)が21世紀直前に生まれた世代にも生き続けているだろうこと、もうひとつは、場合によってはかくも強力な生徒間の力学が働くというのに、そんなものはまるでないかのように授業指導案が作られ(しかも、それが普遍性を帯びるかのようなスタンスを持って)、教員間(だけ)でのまことしなやかな、発問や時間配分の適切さといったことがお喋りされる(研究という名目で)ことの滑稽さについてである。

教員間では「子どものみとり」「児童・生徒理解」と言われるけれど。そうした診断力をいかに身につけるのか、またそれが万が一身についていたとしても、教員が制御できない要因を当たり前のようにはらんだたま、いかに指導案に沿った授業を求めうるのだろうか。授業を語る上でのこんな基本的なことを端折って、授業研究や教材研究と言ってるなんて、どうも大きな勘違いをしてはいないだろうか。

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by walk41 | 2018-05-10 23:22 | 身体 | Comments(0)

音に関わる閾値

「麺すする音、訪日外国人に話題」(朝日新聞、20180501)を読んだ。うどんやそば、あるいはラーメンをすするズズッという音が気になるか、さらにはマナー違反なのか、構わないのか、というお題だ。

ちょうど、「スーパーマーケットで流されるBGM」について、閾値の違いの例として学生たちに話をしたところだった。私はこの手の音がいたく苦手で、そうした店には極力行かないようにするのだが、学生の多くはどうも、たとえ複数の音が混じっても気にならない派が多数のようだった。いやー、びっくり。そうなのかあ。

スーパーマーケットでどこにいても聞こえるBGMにくわえて、売り場ごとに流されるコマーシャルメッセージ、これが複数箇所から聞こえたりすれば、私にとっては「これは何の拷問か」と毒づきたくなるほどである。同じ音でも、店の名前の連呼やその絶叫音に至っては、その場から一刻も早く逃げ出したくなる。何が悲しくて、そんな騒音に身を置かなければならないのか。わけわからん、という感じである。ちなみに、この点で、ドイツのスーパーマーケットは、私の知っている限り、BGMが流れないので快適だ。ちょっと寂しいくらいなのがちょうどいい。

音に寛容な人が周りに多いのか、それともいささか失礼ながら音に鈍感な(閾値の違い)人ゆえか、わからないけれど、個体差はけっこうありそうだ。匂いもそうだが、音も基本的に自分の意思で遮断できない。見たくなければ目を閉じることができるのだけれど。

不幸中の幸いは、家人もだいたい私と同じような、音に関わる閾値だということ。これが大きく違うと、日常の小さな不幸になりうる。綺麗好きかどうか、時間に細かいか鷹揚か、そんな小さなこと(当事者にとっては、大きなこと)の集積として生活は成り立っていると改めて思わされる。

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by walk41 | 2018-05-01 16:40 | 身体 | Comments(0)

女性頼みの観光誘致?

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秋田県観光連盟のポスター。私が見た限り4種類あり、うち①「秋田、総おもてなし宣言」が2種類、②「みんな、秋田の案内人」が2種類である。これらを見ていて気になったのは、登場する人たちに占める女性の割合があまりにも高いのではないかということだ。

①は写真のようだが、このポスターには28人が登場し、うち女性は22人。8割以上が女性である。もう一枚は、27人中19人が女性、約7割を占める。

また②には合わせて54人が載っているが、このポスターは「カンバン娘」とも銘打たれており、全員が女性である。

これら4枚に載る人はあわせて109人、うち女性は95人、ほぼ90%に達する。男性が登場する①に限っても、55人中41人が女性、およそ75%である。

つづめれば、過半数、さらに8割、9割に達するほどの女性占有率は、明らかにバランスを欠いていると思う。ひょっとしたら、観光業界の多くが女性によって担われているのだろうか。それとも、女性の表情がより観光へと誘うのではという思惑ゆえだろうか。このポスターの製作者の考えを知りたいものだ。




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by walk41 | 2018-04-22 07:13 | 身体 | Comments(0)



教育学の一分野、学校とその経営について考えます。
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