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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:学校教育のあれこれ( 674 )

わからない Ich verstehe das nicht.

読売新聞、2019年5月17日付、いじめ防止法改正難航ー教員懲戒規定めぐり、を読んだ。

いじめを放置した教員を懲戒処分とする規定案について、これを盛り込むべきだとするいじめ被害者側などの立場と、いじめかどうか曖昧のケースでも教員が処分されかねないからといった理由で削除すべきだという立場との衝突が見られるという報道である。

いじめとは何かという定義そのものの問題もさることながら、いじめの起こったことが教員に帰属される、つまり教員が原因でいじめが起こったと言うのであれば話は別だが、「いじめを放置」したことが何故に懲戒の事由になるのだろうか。さっぱりわからない。

教員の職務は、学校教育法第37条にあるように、児童の教育を司ることである。それは免許状にある教科を中心とした授業を担うこと、その上で必要な生徒指導等に携わることであって、子どもの生活全般をカバーするものではおよそない。

多くの子どもが集められる学校では、様々な葛藤や衝突、その延長としてのいじめが充分に起こりうるから、そうした軋轢ができるだけ生じないように、学校として努力することは首肯できるだろう。けれど、それはあくまでもプラスアルファの尽力ともいうべきであり、これをしないことが職務怠慢や服務違反になるわけではまったくない。

そもそも、いじめ問題が起こることで労働時間が増え、健康障害の危険性を高められるのは教員であって、この点で教員は既に被害者である。なのに、なぜ教員が批判の対象になるのだろうか。わからない。

世の中には様々な問題が起こるけれど、その責任を私たちは社会の構成員として引き受けているだろうか。たとえば、重大な犯罪が起こった場合、どうしてその人の変調に気づかなかったのかと近隣の住民が批判されるようなことがあるだろうか。あるいは、路上で物乞いをする人を、見て見ぬふりして通り過ぎる人はなぜ糾弾されないのだろうか。

学校で起こることは全て教員の責任、といった何となくの前提が、記事のような乱暴な意見に繋がっているのではないだろうか。私はこのように考えるけれど、こう考えること自体がおかしいのだろうか。誰か教示を願えないだろうか。

by walk41 | 2019-05-17 09:46 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

傲慢さ Arroganz

「積ん読」にしていた、中村圭志『教養としての宗教入門 基礎から学べる信仰と文化』(中公新書、2014)を読み始めた。その中に次の箇所がある。

「信じる者は救われるーここまではいいが、信じない者を率先していじめてきたのは、いただけない。もちろん二面性があるのは宗教家に限らない。僧侶であれ、学校の先生であれ、スポーツのコーチであれ、説教する者というのは、理屈の上では「善いもの」を説いているはずであっても、つい教えの押し売りに走って、「なぜお前はこの善いものを受け入れないのか、けしからん!」と言い出しがちなものだ(59ページ)。」

教育が宗教的でもあることを説明している一文だろう。

by walk41 | 2019-05-13 20:47 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「僕の患者だ」 "mein Patient"

引き続き、アメリカのテレビドラマ、ER 救命救急室 を観ている。シーズン6のエピソード2「最後の儀式」では、医者同士が患者の担当をめぐって激しく衝突する。

延命拒否に一度はサインしたものの、明確に「生きたい」と医師に伝えた患者を担当したマークと、「娘の延命拒否は明らかだ。サインもある」とすごむ父親を前に、訴訟などを懸念したチーフのケリーとの衝突。最前線で患者と接する立場を主張する「医師としての専門性」か、病院を守らなければならないという「管理職としての専門性」か、の葛藤である。

ケリーは医師でもあるから、最前線での事実や想いはもちろんわかっていることだろう。けれど、より「総合的見地」からは延命拒否のサインが、「医師が聴いた患者の声」よりも優位するという判断になるのではないかと思う。くわえて、これは合理化かもしれないけれど、たとえ延命措置をとっても、回復する見込みがほぼないという状況(だと判断して)であれば、やむを得ないということになるだろう。また、同僚からの冷たい視線に耐えなければいけない、管理職としての苦悩もよく伝わる。

公教育について考えている身としては、教育労働の個業性が、労働一般の中で特異なものに映りがちだが、はるかに客観的と思われる医療の世界でも、似たようなことが起こっているのだと学ぶことしきりである。



by walk41 | 2019-05-10 09:24 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

誰に訴えるの Wem aessert der Schulleiter das?

茨城県高萩市教育委員会が6日に記者会見し、市立中学3年の女子生徒(15)が4月30日に自殺したことを公表した。所属していた卓球部では、顧問の男性教諭が「殺すぞ」などと暴言を吐いたり、激高して用具を床にたたきつけたりするなどの不適切な指導があったという。市教委は第三者委員会を設置し、自殺との関連を調べる。

 市教委によると、生徒が残した直筆のメモには、教諭が部活中に、「殴るぞ」「殺すぞ」などと暴言を吐く▽肩を小突く▽用具を床に投げつけ備品をたたく--といった内容が書かれていた。教諭は学校側の調査に、部員の練習態度が悪いと感じた時に部員全員に向け、こうした言動をしたと認めている。「昨年9月ごろから、部員との関係がぎくしゃくしているように感じた」と話しているという。

 生徒は昨年9月に学校が実施したアンケートに「学校生活は楽しい。部活動の時間が長くてつまらない」などと書いていた。亡くなる4月末までは学校に問題なく通っていたが、3月中旬以降は部活動には参加していなかった。

 生徒が通う中学校は7日、全校集会を開き、校長が命の大切さを訴えた。涙を流す生徒もいたという。市教委は学校にスクールカウンセラーを常駐させる。【佐藤則夫、川崎健】毎日新聞、2019.5.8

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この報道の通りならば、痛ましい事件である。当該教諭の人権感覚のなさにまず唖然とさせられるが、これも学校の教育課程に含まれていない部活動だからこそなりやすいとは言えるだろう。つまり、指導する資格があるか公証されていない(部活動の免許状はない)、活動に際しての基準や標準がない(時数、教科書、評価方法などが決まっていない)ために、法治主義にもとづかない、人治主義が跋扈する。「王様」と自認する部活顧問が暴政を働く、止める者はいない、という構図で説明できるのではないだろうか。

部活の顧問は複数制だったのか。活動の様子を管理職は見ていたのか。この顧問は部活動以外では暴言を吐かなかったのか。あるいは吐いていたことに同僚が気づいていたのに、「見て見ぬふり」をしたのか、などの検証がされることになるだろう。

そして、校長が生徒に何を話したのかを知りたい。「命の大切さを訴えた」という文面だけでは推測の域が大きく、外れているかもしれないけれど、仮に「命を大切にしましょう。自分の命を絶とうなどと考えてはいけません」調だったとするならば、何とぼけた話だろうか。事実がまだ明らかでない時点では、教員を指弾もできないから、私ならこんなことを言うかと思う。

「学校とは、教員がみなさん生徒を教育することを社会的に認められている場所なので、みなさんが嫌とか辛いとか思うことが少なくありません。これは、先の世代が後の世代に期待していることの現れでもあるのですが、後の世代にはあまり嬉しいことではありませんね。それでも、いわゆる学力を身につけることで社会に参加し、また個人の能力を花開かせる上で、学校が果たす役割があると今は思われているので、こうした場所が各地にあるのです。

そこで教育する立場の者が心しなければならないのは、決して対等ではない生徒との関係において、できるだけ暴力的なことを避けること、そのために自分を過信せず、常に振り返り、またそのためにも同僚を始め多くの人の声に耳を傾け、いわゆる普通の人間であることを確かめる姿勢と能力を持つことでしょう。これらがなければ、ただの乱暴な人に陥ってしまいます。しかもやっかいなのは、私を含め、先生と呼ばれる立場は、生徒から公然と批判されることはまずなく、自分のおかしさに気づきにくいため、大変残念なことですが、恐ろしく暴力的になってはじめて、はっとさせられることがあるということです。

今回の痛ましい出来事がなぜ起こったのか、どうすれば良かったのかは、これから調べ考えるべきことですが、生徒のみなさんには、学校がしんどい、嫌いということを知らせる、どんなサインでも出してもらい、鈍くなりがちな人たちに知らせてください。いじめ問題に関する調査と同じように、まずは伝えてください。できれば複数のスタッフに、もちろん私にでも構いません。そうしてどうすればいいのかを一緒に考えましょう。教育しようとする立場は、厳しくすることでみなさんを鍛えていると思いがちですが、それは必ずしも正しい訳ではありません。私たち教員も今回のことを深く調査、検討、議論します。みなさんも、クラスや学年あるいは生徒会などで話をしてください。

学校という場では避けられない衝突がたくさんありますが、それをより減らすこと、そして何よりも大きな衝突を起こさないように条件を整えることに、私たちはこれから取り組みます。この学校をどうすれば変えることができるのか、私たち教員の力とそしてみなさんの協力が求められています。どうぞよろしくお願いします。」



by walk41 | 2019-05-08 07:53 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

生徒による学校掃除はリスク Schulputzen von Schueler als Risiko

朝日新聞、20190505記事、20142月、大分県の高校にて、掃除をしていた3年生が4階の庇から転落、亡くなった事故を取り上げている。「事故当日は年7、8回の大掃除で、ワックスがけや窓拭きなどを行っていた。朝礼で担任は、最後の清掃なので心を込めるようにと、生徒に伝えていた。」という。

「心を込める」という曖昧な、また分別臭い言い方を苦々しく思うが、くわえて、4階のガラス窓を、ヘルメットや命綱などの安全管理もせずに、外から拭かせるという無茶なことが、日常的に行われていたことに、改めて驚かされる。

教室内のごみ拾いやちりとりでの埃集め、せいぜい黒板の水拭き程度ならば、生徒にやってもらってもいいだろう。けれど、高さのあるところ、切れたり刺さったりする危険性のあるところに行くこと、あるいは化学反応で汚れを取るようなところは、素人のましてや子ども(高校生が子どもかどうかはさておき)が関わるような話ではない。

振り返れば、明治期に始まった学校掃除は、予算不足を補うために教育的意味合いを与えることで、生徒(と教員)に無償労働をさせることに成功した例である(佐藤秀夫『学校ことはじめ辞典』小学館、1987)。だから、生徒に「やらせる」などほとんど懲罰的意味合いを帯びるのに、「掃除をサボっていた」と叱られるのが現実なのだから、人間はなんと思い込みの激しい生き物かと思う。「タダで働いてくれてありがとう」と教育委員会や学校が児童生徒に感謝すべき事項である。

たとえば、ドイツの学校で生徒がしっかり掃除をするなど、まず考えられない。そんなことをすれば、ニュースになる(別記事で紹介します)。学級での係活動として、2,3人の子どもがごみを集める真似事のようなことはあるが、「そうじの時間」は設けられていない。二日に一回程度行われる床掃除のために、椅子を机の上に置いて去るようにと教員から言われるだけである。


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https://bnn.de/lokales/rastatt/reinigung より。ちなみに、このように椅子を上げておいてもらえると、掃除スタッフは仕事がやりやすいと、建物掃除のマイスター(!)が模範的だと語るシーンである。

そもそも、掃除は汚れているところをきれいにすることなのだから、まず手袋をはめることをしない、手を保護しないでどうするというのか。水拭きできれいになる程度の認識で行われているのが、日本の学校掃除なのだろうと、改めて思わされている。


by walk41 | 2019-05-05 09:31 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「まだ習ってない」と学習意欲を削ぐ教師

「漢字の読みと書きについては,書きの方が習得に時間がかかるという実態を考慮し,書きの指導は2学年間という時間をかけて,確実に書き,使えるようにすることとしている。また,漢字の読みについては,当該学年に配当されている漢字の音読みや訓読みができるようにすることとしている。なお,第6学年に配当された漢字の書きについては,当該学年において漸次書き,文や文章の中で使うとともに,中学校の第2学年までの間で確実に身に付け,使えるようにすることになる。」(学習指導要領2017年告示、小学校国語編解説)


行政文書にはこれだけのように見えるのだけれど、なぜ今でも横行しているのだろうか。「まだ習っていない漢字はつかってはいけない」という教師(たち)のマイルールが。

http://mfujin.blog.jp/archives/namae_hiragana_majiri.html
には、このことが上手く描かれている。

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「読めない子がいると不公平」といった悪平等の信者? あるいは、「自分より知っている子どもがいるかもしれないことへの恐怖心」から来る教師の優位性の確保? 理由はわからないけれど、学習指導要領にもそぐわない不合理な信念は、迷惑なことこの上ない。

①「働き方」改革や「学力向上」と叫ばれているのに、無駄なエネルギーを注ぐとともに、児童の学力向上にも貢献しない行為である。

②教員が、学年にそぐわず漢字を書いてしまうと、「先生、それまだ習ってないで」と学校過剰適応の児童の跋扈を許すことになる。

③この漫画にあるように、まったく不要なことで児童の困りや児童間の軋轢を生じさせることになる。

④自分の名前を漢字で書いてはいけないと教員に言われたため、長らくひらがなで自筆を貫いた、いまは成人した人がいる。

こんな不文律が横行しており、校長や教育委員会、文部科学省もやめさせることができない、「教育上の自由」が存在するのならば、いかにこれを上手く行使するかが各教員に問われる。お願いだから「何となく」することを、できるだけ減らしてもらえないだろうか。



by walk41 | 2019-04-30 11:11 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

個業的な業務遂行が優位 Prioritaet der Beschaeftigung einzelnes Lehrers

山口県教委・生徒に暴言の高校教諭減給処分

山口県下松市の下松工業高校に勤めていた男性教諭が、男子生徒をバリカンで丸刈りにし、暴言を繰り返すなどしていた問題です。県教育委員会は生徒らから聞き取り調査を行い、男性教諭を減給の懲戒処分としました。減給10分の1、1か月の懲戒処分を受けたのは、先月まで下松工業高校に勤務していた43歳の男性教諭です。県教委によりますと男性教諭は去年10月、担任を務めていたクラスの男子生徒をバリカンで丸刈りにしました。保護者と男子生徒からは了解を得ていましたが、県教委の聞き取り調査によると、男子生徒は「受け入れざるを得なかった」と感じていたということです。また、去年12月には「学校ではなく精神科に行け」といった趣旨の暴言で男子生徒をののしりました。一連の発言や行為に対し、クラスの生徒や保護者は教諭の懲戒免職を求める嘆願書を県教委に提出していました。県教委は不適切な指導の根絶に向け、教職員の自覚の徹底を図るとしています。男子生徒の父親は「息子や生徒たちの思いが反映されている。再発防止に努めてほしい」とコメントしています。(2019.4.12 tysテレビ山口)
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生徒や保護者から、教員の懲戒免職を求める嘆願書が出されるというのはきっと珍しい。それだけ当事者にとっては、許しがたいことだったのだろうと想像する。

こうした各教員の個業性が跋扈する状況を、どうすれば縮減できるのか。当時の校長は、「口頭でこの教員に指導した」と話したとも報じられているが、それくらいでは教室という最前線に影響を与えることができないのだろう。

はなはだ皮肉なことだが、この工業高校の校是は「愛と正義」。学校教育法に反する行為も愛の現れということだろうか。

ちなみに、新しく着任した校長の言葉に、「人としてあたり前のことをあたり前にできる「凡事徹底」を極め」とある。まったく不安である。なぜなら、「あたり前」というものが無前提に存在するかのように思っているから、自分の「あたり前」を疑わず、生徒に暴言、暴行を働けたという認識の回路が欠けていると思うからだ。



by walk41 | 2019-04-13 05:13 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

美化される教師の自己像 schoenes Selbstbild als Lehrer

高校の同窓会誌が送られてきた。見ると、3年生の時の学級担任が「恩師からのメッセージ」と題して登壇している。

2000字ほどの内容だが、語られているのは、優れた自身の恩師のこと、教員になって素晴らしい先輩教員に恵まれたこと、陸上部の部活動で充実していたこと、そして近況についてである。

元生徒の一人として意外に思ったのは、自分がどんな授業をしたのか、学級担任としてどんな経験をしたかが、まったく欠落しており、どのような教員としてとくに生徒に映っていたかが振り返られていないことだ。このことは彼にとって重要ではないのか、それとも意地悪に取れば思い出したくないのか、わからないが、そこについてもぜひ語ってほしかった。

なぜって。あくまでも私の記憶の限りだが、学級担任としての当時の彼は、国立大学に行きたいと言った生徒に、これまでの定期試験の成績を見て「それはちょっと無理やろ」と取り付く島がなかったこと(生徒側は尋ねられたから答えたのであって、何かを期待していたわけではなかったのだが)、秋の文化祭のクラス展示のため、クラスメイトと教室で作業をしていたら(ほとんどの生徒は、そんなものに興味はなく、放課後残らなかったのだが、「生徒は文化祭にもちゃんと臨むべきだ」という頭でっかちな信念を持った生徒が二人ほどいたため)、「これでは寂しい展示やなあ」と呟いただけで出て行ったこと(クラス担任として生徒に何も働きかけていなかったことの反省の弁なく)、大学への内部進学版入試の際の手続きを勘違いしており、事後、不要と以前には話していた入学金を払うように生徒に伝えるだけで事態を収拾したこと(保護者への連絡をすることなしに)等が思い出されるくらいである。編集が付ける見出しだから仕方ないけれど、私にとっては「恩師」と彼はおよそ結びつかない。

「記憶は美化される」とも言われるけれど、教員の自己像も同じようなものだろうか。けれど、その中で教職人生を送っているということも、また事実の一面である。記録と記憶、そして各々の記憶、これらが整合するわけではないという不合理な世界に私たちはいるというのが、もっともな説明かもしれない。

by walk41 | 2019-04-10 08:41 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

教員の児童‧生徒への眼差し

ドイツの大学に留学している日本の学生から、こんな話を聴いた。

両親がトルコ人で自身はドイツ生まれのある学生は、アビトゥア(大学入学資格)を取るまで、ドイツの学校の教員から否定的な眼差しをずっと受けてきたという。そうではないはずなのに、普段の振る舞いに関する評価(「平常点」)が低く付けられてきた。これに対してテストの成績は良くないのに「平常点」が高い、いかにもドイツ人という生徒もいた。そして、いまの大学の教職課程にいる、いい加減な学生たちを見るにつけ、こうした彼ら/彼女らが教員になって、また偏った眼差しを生徒に注ぐのだろうと。

同様のことは、以下のSpiegel Online記事(2018.7.24)でも紹介されている。以前の拙ブログでも取り上げたが、マンハイム大学の教職課程に在籍する学生204人に、実験用に用意した「8才の子どもの書き取りテストでの答案」を二種類を示し採点させた実験だ。ひとつは、Maxとドイツ人らしい名前、もうひとつはMuratとトルコ人らしい名前を記した以外は、まったく同じ答案である。

学生たちは書き取りの間違いについては、どちらの答案も同じ数を見つけた一方、評価についてはトルコ人の名前をつけた子どもをドイツ人の名前の場合と比べて低く評価した。研究者は「生徒の評価基準を統一し、より客観的に評価できるようにすべきだ。これによって主観的な評価が明らかに減少するだろう」と述べている。


日本の学校では、外国人児童生徒を評価することがまだ日常的ではないけれど、グローバル化の進展に伴って課題になっていくことだろう。未来の教員が、自分の「めがね」の偏りに気づき、めがねを外したり、違うめがねを掛けることができるように、教員養成はどんな機会を提供できるだろうか。自分の評価の曖昧さやいい加減さを振り返ることのできる教員であり続けるための研修とは、どのようなものだろうか。

かたや「教員として教育に対する揺るがない信念をもつべき」といった言説もあふれる中、メタ認知と柔軟な意思決定、そして実践という名の行為のできる教員になるために、またそうあり続けるためのサポートがいかに重要かと思わされる。

Eine Japanerin, die gerade in einer Hochschule in Deutschland studiert, hat mir neuerdings eine Anekdote erzaehlt. Das ist ueber einen Stundent, dessen Eltern Turke sind, der selbst in Deutschland geboren ist. Er hat lange Zeit, wo bis er Abitur bekommen hat, negativen Blick von Lehrer kontinuierlich gekriegt. Andererseits gab es deutschen Schueler, der schlechte leistung, jedoch bessere Note gehabt hat.

Genausowie ist aehnlicher Bericht schon in der Zeitung Spiegel Online gegeben. Das lautet wenn die 204 angehende Lehreramtsstudentinnen in der Mannheim Uni. gefragt wurden, um zwei gleiche Achtjaehrige Diktate zu korrigieren, haben sie zwar gleiche Zahl des Fehlers in zwei Diktaten gefunden, aber haben sie schlechte Noten fuer ein Diktat mit dem turkischen Vornamen als fuer ein mit dem deutschen Nornamen gegeben. Damit kann man sich gut vorstellen das rassistische Vorurteil, sogar die Diskriminierung der Studentinnen. Das wirkt absolut schlecht fuer ihre zukunftige Arbeit in der Schule.

Auch in Japan finde ich einerseits die Sage, "als Lehrer soll man unveraenderte Glaube fuer Bildung und Erziehung halten" hier und dort und finde auch das ist ein grosses Problem fuer die angehende Lehrer. Sie muessen erstens bemerken, dass sie alle ihre eigene "Brille" tragen. Dann sollen sie sie abnehmen oder andere "Brille" tragen, um andere Perspektiv zu warhnehmen, meiner Meinung nach. Um guten Lehrer zu werden und so sich zu weiter entwickeln, meine ich es sehr wichtig, fuer Meta-Kognition, flexible Entscheidung und Praxis Studentinnen zu unterstuetzen.

by walk41 | 2019-04-06 10:12 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

これも異議あり Ich erhebe Einspruch

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みなさんはどう思われるだろうか、このような学級目標を掲げることについて。私は異議あり、反対だ。

クラスと呼ばれる学級は、たまたまそうなった、同一年齢の児童‧生徒の集合に過ぎない。何かを一緒にやろうと集った仲間でもないし、そもそも目指すべき目標がある訳でもない。中学校や高校で懸命に臨む生徒もいる部活動のうち、チームプレイが求められる活動ならば、このスローガンはあてはまるだろう。もちろん、それは学級や学年をまたいでおり、クラスの事項ではない。

くわえて、目標は児童‧生徒の外から与えられる進級や卒業、上級学校への進学であり、彼らの自発的なものとは見なせない。また、仮にそうだと想定しても、一緒にやるべき事柄ではない。学級を単位に行われるべきことは、文化祭での合唱や劇などであり、それとて皆が全員やりたい訳でもない。一部を除けば、まあ消極的なお付き合い留まりなのだ。

現に、「みんなで助け合って」「互いに協力して」などと言われる一方、定期試験などになると、クラスメイトと切り離されて、カンニングができないように監視されるという矛盾が起こる。なぜか、「一緒に満点の答案を作ってごらん」にはならない。こうした試験をしてこそ、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」なのに。

つまるところ、上のようなスローガンに合わない仕掛けとして学級が位置づけられているのに、教員個人の好みや偏見に過ぎないものを、いいことだと自分が思うから「なんとなく」作らせ、教室に掲げる。

実際には無理なことを、そうあるべきと自分の価値観を優位させて無理を求める。現実的でないことを「そうなければいけない」と、認識の逆立ちをする。こんなことをする教員は、まさに「頭でっかち」で「机上の空論」を振りかざしているのだ。そして、これに反する言動(「塾があるから帰ります」「それは人それぞれだと思う」といった)が見られると、学級目標を錦の御旗に見立てて、糾弾する。「みんな、仲間じゃないか」、「人という漢字は互いに支え合ってという意味からできている(間違い)」と。

学校教育法、学習指導要領、各学校の教育目標にも掲げられていない、少なくとも現在の社会では公共性の低い価値観が押しつけられる。力関係が明瞭な状況での、教員の児童‧生徒に対する暴力とすら言える行為がここかしこに見られること、まったくの悲劇である。



by walk41 | 2019-03-31 14:01 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)



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