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学校・教職員の現在と近未来 Gegenwart und nähere Zukunft der Schule und ihrer Mitglieder

カテゴリ:学校教育のあれこれ( 694 )

ないものが見える man sieht, was dort nicht gibt.

ある中学校のHPにこんな記述があった。「開発的生徒指導」という欄である。

…以前,熊本市内のある中学校に視察に行ったときのことです。その中学校は生徒数800名を越す大規模校です。ちょうど昼食時間の後の掃除時間でした。すべての生徒と言ってよいでしょう。床に膝をつけて雑巾で吹き上げていました。教室や廊下を掃除する生徒に中には埃のたまりやすい隅の方を中心に掃除している生徒もいました。掃除担当箇所は時に決まっている様子もなく気づいた者がその場所を掃除しているという雰囲気です。大規模校となると一人くらいはさぼろうとしている生徒がいてもおかしくないと思うところですが,掃除をしている生徒にもその活動に差がありません。あの子は一生懸命取り組んでいるが,この子は手を抜いているという生徒がいないのです。理想的な学校,夢のような学校と思いませんか。「なぜそんなに清掃活動が盛んなの。」と生徒に聞いてみました。すると答えは次の通りです。「みんながやっているから自分もやっている」「部活動の先生に厳しく言われているから」という答えが返ってきました。この返答からは先生方の指導が行き届いているから生徒が立派にやっているんだと思われますが,生徒の表情や輝いている瞳の奥を覗くと,c多くの生徒が,清掃活動はみんながやらなければならないこと,みんなの学校だからきれいにしておかねければならない,私たちの自慢の学校,という意識があったように感じました。どんな方法でそこまで清掃活動が盛んになったかは分かりませんが,少なくとも生徒は掃除をさせられているという意識ではなく,自主的に,意欲的に取り組んでいました。… (http://cms.saga-ed.jp/hp/nabeshima-j

教育的な文脈に即して物事を見る、教育的眼差しを注ぐとこんな恐ろしいことが起こるのだと、私には思わされる。

ひとつは、800人もの生徒の誰もが懸命に掃除をしているシーンが「理想的な学校,夢のような学校」だと映ること(民主主義と対立する全体主義そのものなのに)。歴史的には学校への予算不足から始まった生徒(と教員)による掃除のありようを疑いもせず、ちゃんと掃除をさせること(およそ家庭での掃除と別物の行動を強いること)が指導だと思い込むこと(掃除は生徒による無償ボランティアである。しかも、素手でしているだろう高い危険性を伴っている)。ひとは眼でものを見ている訳ではないことがよくわかる。

もうひとつは、「みんながやっているから自分もやっている」「部活動の先生に厳しく言われているから」と生徒が答えているのに、「単純にそうではないような気がします。」と何のエビデンスもないのに述べ、「自主的に、意欲的に取り組んでいました」と締めくくっている。そんな無茶な。

いずれも、強い思い込み、自身の信条を疑うことのなさが特徴かと思う。一般解(普遍的な答え)はもちろん、特殊解(ケースに応じた答え)すらあるのかどうかわからない対人サービス労働の世界にいる教員が、こんな教育的まなざしを児童・生徒と自分たちに注ぎ続け、リフレクション(反省的思考)やメタ認知などと無縁なこと、まさにホラーではないだろうか。

by walk41 | 2019-09-12 08:18 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「何でも言い合えるクラスづくり」 eine Klasse, wo Schueler miteinander alles aeusseren koennen

小学校の校内研修を見学した。

主題は省くが、既存の教育的信条を問わない、つまり教員の「実践」が何ら変わらないだろうと思われる時間だったことが、とても残念だった。

たとえば、こんな発言があった。曰く、「何でも言い合えるクラスづくりが大切。」これを聞いた周りの教員の反応も「そう、そう」であった。さて、この方向での学級づくりはどれほど適切だろうか。

教授行動がいかに科学的か(再現性のある効果的な行動を導くことがいかに可能か)を追うことがどれほど意義あるかはさておき、「より良い教育」のための「実践」が日々行われているのだから、「何でも言えるクラスづくり」に向けた実践がいかに可能で、また教育-学習上、さらには教育目標上、効果的かを確かめなければならない。

まず、「何でも言い合える」のは児童たちであって、教員ではない。いわゆる子どもという限定つきながら他者をどれほど操作することが、ひとりの教員に可能だろうか。私などは、そもそも、言いたいことが特段会い」という状況があるだろうなとか、また、「言いたいことはあるけれど、ここでは控えるのがマナーだ」といった大人に近い子どもを想定してしまうのだけれど。

さらに、こうしたクラスづくりが可能だったとして、その効用は何なのだろう。教員じしん、学校管理職や同僚に言いたいことはあるけれど、互いの授業や学級の経営になかなか口を出さないのは、そうした発言を控えることが「心地よい」職場づくりにつながることを知っているからだろう。相互批判を厭わない風土は、組織の緊張を高め切磋琢磨になるかもしれないけれど、そんなことよりも「私の実践に口を出さないで」という相互不干渉な快適さの方が優位するのだ(このことは、大学教員にもいっそう当てはまることである)。

対して、当の教員は、こうした小学校業界ではきっと「どこからも批判の来ない」お喋りをすることで、自身の行動とその背景にある発想を問い返すことなく、変わらない日常を続けていくのだろう。この点で、意義のある研修とは私には思われない。

教員研修の主眼は、児童や生徒をどう操作するか(「働きかける」という業界用語)ということではない。操作できるのは、教員自身と教室の環境の一部である。ここを変えることでしか、別の「実践」を生み出すことはできない。こんな「子ども頼み」の話をして、その可能性も効果も不確かなことを、小学校で続けているとすれば、何という悲劇かと思う。この研修に投じられた人件費が無駄なこと、そして頼まれてもいないのに当てにされてしまっている児童が気の毒な点においてである。

教員のみなさんからの批判を待ちたい。

by walk41 | 2019-09-12 06:55 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

教員こそルールを守るべき Vor allem soll Lehrer die Regeln befolgen.

学校教員の中には、「社会にルールがあるように、学校でもルールがあり、これを守れないようでは立派な大人になれないぞ」と、したり顔で言う人がいるだろう。そもそもルールとは何か、またそれはいかに守られるべきか、変えられるべきか、を思考していないかもしれない、その薄っぺらさは脇に置いて、「ルール重視」をまま唱える教員が、実はルール違反をしているという話をしたい。

たとえば、席決め。「自分が好きなところに座っていい」と始めたところ、「ここに座りたい」と生徒の間で衝突が多発。すると、「決められへんのやったら、先生が決めます」と勝手にルールを変更する。最初のルールは守られずである。

あるいは、教室の係や行事での役割を決めるとき、最初は「係の人数枠を越えた場合は、じゃんけんで」と生徒に伝えていたのに、いざ決める作業が始まると、「この係は大事やから、クラスのみんなの投票にしよう」とか、酷い場合は、「やっぱり、先生が決めるわ」と、驚くべきアクロバティックな展開を導いたりする。始めの決めごとは、かくも容易に反故にされる。かくも、教室は無法地帯であり、専制者である教員による人治主義が横行する。

はたまた、授業中にトランプを始めた生徒を見て「トランプをしていい曜日を決めたいと思います」と的外れな提案を行い、関係ない生徒を巻き込んだりもする。ルールの必然性は教師の胸三寸である。

こうした「学級王国」の状況が出現するのは、教員がルールの意義と限界をよく理解していないからと、私は思う。ルールを適用するには、人による支配を回避し、誰もが従わなければいけないルール(法治)を設定することで、普遍性を担保する意義(平等や公平の点で)と合わせて、臨機応変さに欠けたり手続きに多くのコストを要する限界(「杓子定規」や「ムダ」といった)もあることを理解する必要がある。このことを、どれほど教員は踏まえているだろうか。

いわゆる問題状況の背景には、教員によって宣誓されながら恣意的にも運用される「ルールらしきもの」がある。その不確かさが生徒を疑心暗鬼にさせ、ルール無視こそ生き残る技だと学ぶ機会を提供する。「正義によるいじめ」が頻発する背景も、同様である。

さて、ルールと言うならば、教員にとっても上位に君臨するものとしてそれを設定する勇気を、はたして教員は持ち得ているだろうか。





by walk41 | 2019-08-30 09:43 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「先生、がんばって」 "Lehrer, mach's gut!"

夏の教員研修には、教諭だけでなく、養護教諭や事務職員が参加してくれる場合もある。

ある研修にて、学校版の「悲しいとき~」(いつもここから)を作ってもらったら、事務職員の方から次の一句が出た。

「悲しいとき~
 -先生が初めて自分で出張届けを書いてくれたと思ったら、間違えていて、結局、全部書き直しになったとき~。
 -先生に任せたいけれど、まかせたら仕事が増えるだけだと実感したとき~」

教諭のみなさん、いかがだろうか。

「へ-、そんな学校もあるんだ」と思われただろうか、それともひょっとして耳の痛い話だろうか。


by walk41 | 2019-08-29 08:00 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

通夜のような授業 Unterricht als ob er vor dem Beerdigung

大学のオープンキャンパスにて高校生たちと出会う。

模擬授業として、規律と秩序が重んじられる学校で身についてしまう習慣、大人しく話を聞く、ルールを守ることに馴染んでいる身体になっているのではと、学校論を話す。その流れから、「高校の授業は今でもお通夜みたいに静かですか」と彼ら彼女らに尋ねると、控えめな反応ながら、複数の参加者からそうだと返ってきた。教員が一方的に話し、生徒たちが静かにノートを取る姿が目に浮かぶ。

教科や単元にも拠るだろうが、これだけアクティブラーニングが叫ばれ、個に応じた学習の重要性が喧伝されているのに、もっぱら伝達として授業が進められているとすれば、ある意味で一種のホラーである。高校教員からは「大学入試があるから」と常套句が挙がるだろうが、はたしてそうだろうか。むしろ、人文社会系に限って言えば、大学での学修の準備として、「お通夜」とは違う授業を高校で経験しておいてくれればと強く願う。

とまれ、きょう大学に来てくれた高校生と来春あるいは再来春に、学生として会えれば嬉しいな。

by walk41 | 2019-08-20 18:58 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

一面的な見方を助長しないで propagiere bitte nicht das einseitige Gedankengut

近所の学校を通りかかったら、生徒が作った標語の看板が目に入った。曰く、「LINEよりも、目を見て話そう、友達と」である。

確かにSNSによるコミニケーションは、等身大での表現の場合よりも増幅されやすく、また電子データとして残るために、消えることなくさらに拡散されるといった問題がある。

しかしながら、等身大でのコミニケーションであっても、私たちは状況に応じて、目を伏せがちに話をしたり、あえて顔を横に向けて目を合わせないようにやり取りすることもある。直接会っているからといって、目を合わせているわけではない。それらは、合理的なコミニュケーションと考えられているからだ。

また、SNSに限らないが、間接的なコミニケーションが持つ効用もある。今やもう古典的になったのだろうか、ラブレターを送ることは、直接的な「告白」よりも相手により響く手段とも言えるだろう。あるいは、距離をとったコミニケーションだからこそ、内容のいかんにかかわらず、送る側も受け取る側も冷静に理解し、さらに判断できる面もある。直接的なコミニュケーションが何でも優れているわけではない。

ことほど左様に、ある行為には効用と限界のいずれもがだいたい備わっているにもかかわらず、学校教育の世界に入ると、どうもそうしたアンビバレントな発想は排除されがちなようだ。これが正解とかこれが正しいという、認識の際の癖をつけてしまうと、高等教育の段階で学ぶ際に、とても苦労することになる。

「高校と大学との接続が重要」などと言うのであれば、多くの物事には複数の側面があり、着目点の違いによってその評価も変わってくると考える癖を、遅くとも中等教育の初めの段階からは身に付けていくべきではないだろうか。

振り返れば、一面的な見方のみで物事を捉える癖を身につけ、またそれが正しいことだと見なし、さらにそれを知っている自分が優等であるとまで勘違いしていた自身を省みるに、上記のことをいっそう強く思う。

by walk41 | 2019-08-12 11:27 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

「その他」の離職理由って? Was ist der Anlass "Sonst" beim Verlassen des Lehrers

インターネット時代のおかげで、以前ならば図書館に通うか、自分で購入して揃えるしかなかった統計がこんなにも容易に手に入り、しかも加工もできるファイルとして提供されている。政府が公表している「e-Stat 統計で見る日本」(https://www.e-stat.go.jp/mypage/user/preregister)は、そんな統計資料の一つである。

そこで、このサイトを利用して、3年に1度おこなわれている、文部科学省「学校教員統計調査」を引き、学校教員の離職を調べてみた。小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の教員数と離職者数、その内訳についてである。

離職は大きく定年退職(勧奨による退職を含む)とそれ以外に分かれ、それ以外は、病気、死亡、転職、大学等への入学、家庭の事情、職務上の問題、その他、の7つに区分されている。これらのうち、特徴的と思われるデータを挙げたものが、以下のようだ。

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定年退職が離職者全体の5、6割ほどを占めるのは、年齢層の厚い世代が学校を去りつつあることを示すものだろうが、それ以外の離職に目を向けると、次のことに気づける。①中途離職の割合は、定年退職を除く教員総数の1.4%~2.3%、高校でやや高い。②中途離職者のうち、上に示す6つの理由以外の「その他」が3分の1以上、半数近くまでを占めており、表記上「その他」では済まされないほどの割合の高さである。③不幸にして亡くなった方は、教員総数のおよそ1500~2000人に一人、高校は他の学校種の1.4~1.5倍である。

ちなみに、「盗撮」を除く公立学校だけに限った教員の「わいせつ等」行為の発生率は、学校種によっても違うが、約1500~3000人に一人であることがわかっている(森脇正博・榊原禎宏「教員の「わいせつ行為」に関する統計的再分析-学校種間の発生率の検討-」『京都教育大学紀要』132、2018)。比較するものではないけれど、近い数値ということで参考まで。

今年2019年度の調査結果が公表されれば、また比較もできる。学校教員に関する「教科書的」な理解として、こうした状況を知っておくことも大切ではないだろうか。

by walk41 | 2019-07-15 14:27 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

学力と幸福 Leistung und Lebensglueck

岩竹美加子『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書、2019)の新聞広告を見た。「テストも受験も、部活も運動会もないのに、学力、そして幸福度も世界一。その秘密教えます!」というふれこみである。

テストや受験があることで学力が引っ張られるかもしれないとは、多くの人の首肯するところだろうが、部活や運動会のあるなしが、学力と正に相関するかもと考える人はどれほどいるだろうか。むしろ「勉強が大変だから部活をやめたい」という生徒は容易に想像できるから、負に相関するかもという流れならばわかる。それにしても、さっぱりわからないのは、幸福度とまで言っていることだ。

この本を見てから言うべきかもしれないけれど、かなり勇み足との印象を受ける。何を指標にするのか難しくもあるけれど、たとえば、自殺率を幸福度と関係づけられるとしてみよう。幸せならば自殺する傾向が弱いのではないかという予想のもとでの立論である。

厚生労働省「諸外国における自殺の現状」(2017)に、以下の図がある。

b0250023_11465380.png

2014年時点で見ると、フィンランドの人口10万人あたりの自殺死亡者数は、韓国、ロシア、日本よりは低いものの、カナダ、イギリス、イタリアより高く、オーストラリア、ドイツと同じくらいである。学力問題が若年層を対象に語られるから、自殺がより生じる年齢層とはずれがあるのかもしれないが、私にはそんなにハッピーに見えない。

それもそのはず。学ぶことで世の虚しさ、人間の愚かさに気づくかもしれないし、少なくとも悩むことは増えるから、死に近づくとは言えるだろう。この点では、知らぬが仏である。だから、学力が向上したら幸福度が下がることはあっても、上がって当然など、かなり厳しい論理かと思う。

もっとも、この表題を支持する人の中には、「フィンランドの自殺率が下がっているのは学力が上がってきたから」と主張する向きもあるかもしれない。これも某自治体が喧伝する「幸せになるための教育」論だね。そんな「頭の中お花畑」のようなお喋りは、やめようよ。

by walk41 | 2019-07-12 11:55 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

高校までの教育の成果か ein Ergebnis der Bildung bis in der Sekundarstufe

学部生への授業、この頃、梅雨もあって蒸し暑くなり、学生も疲れているのかもしれないが、反応が鈍いように思えて、ときどき「着いてきてる?」「ここまではいいかな」などと呼びかけをする始末である。そんな授業のあと、次のような感想があることに気付いた。

「先生への質問に答えるときに、間違えてもとりあえず答えてみるとか、答えを知らないのなら持てるデータから推測してみるといった発想が、自分を含めてみんな無いように感じました。正しい答え以外は、間違っている、言うべきではないという空気を、自分たちが教師になった際は作らないようにしなければならないと…」

なるほど。これはQuestion-Answerの問いで、答えの決まっていることを「常識」問題としてたずねた下りを指しているのだが、「正しい答え」があると感じるほどに、発言しづらいと感じるような身体に育てられてきたんだなあと思わされる。

大学でこうした類の問いは少なく、どう答えてもひとつの反応たりうるテーマが多いのだが、そもそも、問いかけに対する態度が「これで合っているのだろうか」と不安を抱くところから学生がスタートしているのだとすれば、自由な議論はかなり遠いところにあると見るべきだろう。高校までの「アクティブラーニング」に期待していいだろうか。

by walk41 | 2019-07-09 12:14 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)

フランスでの学校制度改変 Schulreform in Frankreich

The Asahi Shimbun Globe+(https://globe.asahi.com/article/12514081?cid=asadigi_rnavi_globe)
2019.7.5の記事に驚かされた。フランスで3歳からの義務教育が始まるというのだ。

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フランスは今秋、義務教育が始まる年齢を6歳から3歳に引き下げる。欧州ではハンガリーと並んで、最も低年齢から義務教育が始まる国になる。既に97・6%の3歳児が日本の幼稚園にあたる「保育学校」に通っているが、あえて義務化に踏み切った狙いはどこにあるのか。ジャンミシェル・ブランケール国民教育相に聞いた。(本間沙織、写真も)

「私たちは2017~22年までの政策のテーマを『信用の学校』と位置づけました。学校を通じてフランスという社会に所属している人たちが互いに信用しあえるようになることが目的です。決して簡単なことではありませんが、いったん、お互いのこと信用し合えるようになったら、子供たちも自分に自信がつくでしょう。公教育に対する不信感を拭いたいと考えています」

「保育学校に通う時期は、子どもの成長にとって大変重要です。あらゆる分野の研究で、人生の最初の7年間が大事だという結果が出ています。ですから保育学校の政策、つまり幼い子どもたちを対象にする政策はそれだけ大切なのです。限られた予算を投じてすることですから、大きな効果をもたらしてほしい。ですから、子だもたちが3歳から教育を受けることが必須だと考えました」

「現時点で3歳以上の子どもたちの97%は既に(幼稚園にあたる)『保育学校』に通っています。残りは3%とはいえ、約2万5千人いるので、その数を軽視してはいけません。海外県や移民の多い地域では、保育学校に通う子どもは格段に少ない。午前中だけ、あるいは週に数回だけ通わせる家庭もあって、皆が毎日、朝から夕方まで通っているわけではありません」

「全員を通わせるだけで満足することなく、質を担保しないといけません。認知科学の最新の研究結果なども考慮すると、語彙レベルの差が格差にもつながっているので、特に語彙力を増やすことが重要だと思います。その点で、保育学校の時点でフランス語の習得状況を改善できれば、子どもたちは小学校に入る時点で、より平等なスタートラインに立つことができるでしょう」

「私たちの目的は競争させることではなく、協力的な環境をつくることです。一人で勝利するのではなく、皆で勝利を目指した方がいい。一人で好き勝手に生きていくのではなく、周囲に耳を傾けたり、相談したりすることも大事です。そのためには、子どもたちがフランス語を話せる才能を育てるべきだと考えています」(以上、抜粋)
--------------

いかがだろうか。これまでも、修学前教育の重要性は指摘されており、「小学校からではもう遅い」とまで主張する人もいる中で、日本ではまだ「幼保一元化」の議論がくすぶっている状況に私には見える。

「人生最初の7年間が鍵を握る」という思想に裏付けられた、「自由、平等、博愛」を追求するフランスの大きな学校制度改変はどう進むのだろうか。

by walk41 | 2019-07-08 10:22 | 学校教育のあれこれ | Comments(0)



榊原禎宏のブログ(Yoshihiro Sakakibara Blog) 教育学の一分野、学校とその経営について考えます(um die Schule und ihre Verwaltung und Management)
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